| 原題 | Ainda estou aqui |
|---|---|
| 製作年 | 2024 |
| 製作国 | ブラジル・フランス |
| 監督 | ウォルター・サレス |
| 脚本 | ムリロ・ハウザー、 ヘイトル・ロレガ |
| 音楽 | ウォーレン・エリス |
| 出演 | フェルナンダ・トーレス、 セルトン・メロ、 フェルナンダ・モンテネグロ、 アントニオ・サボイア、 マリア・マノエラ、 ルイザ・コソフスキ、 バーバラ・ルス、 コラ・モラ |
1970年代、ブラジル軍事政権下の恐怖を、その標的となったある家族の視点から描く。
監督は『セントラル・ステーション』『モーターサイクル・ダイアリーズ』などで、ラテンアメリカの現実と個人の生を見つめてきたウォルター・サレス。
サレスの映画では、人物が感情をあからさまに爆発させることは多くありません。
『モーターサイクル・ダイアリーズ』のチェ・ゲバラでさえ、激情よりも静かな観察と思索の中で変化していきます。
だからこの映画でも、夫が失踪し、やがて国家暴力の犠牲になったと分かっても、妻は取り乱して真実を叫ぶのではなく、まずは耐えて子どもたちと生活を守守ろうとします。
描かれるのは重い史実です。
ブラジルの軍事政権は1964年から1985年まで続き、なかでもメディシ政権期(1969〜74)には、経済成長の陰で激しい弾圧が行われた。反体制と見なされた人々は拘束・殺害され、あるいは「失踪者」とされました。
その後、軍政は徐々に統制を緩め、経済危機と民主化要求の高まりの中で終焉へ向かいましたが、革命や打倒による政権交代でなかったこともあり、軍事政権下での国家の加害責任が厳しく追及されることはなく、十分な清算を伴いませんでした。
1990年以降、歴史検証や一定の補償は進んでも、加害者の刑事責任追及はきわめて限定的なままです。
それゆえ、この映画のテーマは夫や父を奪われた瞬間だけにあるのではない。
国家がその死を公的に認めないまま、家族に喪失だけを背負わせ続けた、その後の長い時間にあります。
サンパウロに移ってからの歳月は映画的には短いですが、その描写こそ重要なのです。
死亡証明書が発行される場面は、単なる事務手続きの完了ではなく、国家によって宙吊りにされた時間が、ようやく少しだけ動き出す瞬間なのです。
ブラジルに欠けていたのは民主化そのものではなく、”被害を受けた家族の喪失を公的に受け止める制度” だったのかもしれなません。
