| 原題 | An Cailin Ciuin |
|---|---|
| 製作年 | 2022 |
| 製作国 | アイルランド |
| 監督 | コルム・バレード |
| 脚本 | コルム・バレード |
| 音楽 | スティーブン・レニックス |
| 出演 | キャサリン・クリンチ、 キャリー・クロウリー、 アンドリュー・ベネット、 マイケル・パトリック |
分かりやすいストーリーを、ただ丁寧に描く。
それだけで十分素晴らしい映画が出来上がります。
人は愚かで無常で浅はかな生き物だ。
父親は家族を蔑(ないがし)ろにするし、娘の一人を蔑(さげす)んでいる。
姉は妹を庇わず、むしろ厄介者扱いだ。
母親はそんな娘を見て見ぬふりで、庇おうともしない。
そんな彼女は当然家族の中に居場所はなく、まだ小さいので社会の中にも居場所はない。
何も言わなくていい
沈黙は悪くない
たくさんの人が沈黙の機会を逃し
多くのものを失ってきた
コットはあまり話さない。
それは性格というより、「話しても伝わらない」から。
過酷な世界を生きていく上での自己防衛です。
預けられた先でもあまり話さない。
初めは自己防衛だったのかもしれませんが、最小限のコミュニケーションと触れ合いを通じて、徐々にコットは「話さなくても伝わる」ことを感じ取ります。
しかし、お互いに話さなかったキンセラとも打ち解け、徐々に話すようになる。
でも「沈黙は悪くない」という言葉を通じ、”言葉以上に重要なもの” が、この家にはあるのだと理解します。
この家に秘密はないわ。
家に秘密があるのは恥ずかしいことよ。
アイリンは “この家に秘密はない” と言いますが、終盤でコットは大きな秘密に気づかされます。
コットは大きな喪失を抱えていますが、キンセラ家も同様だと気付くのです。
そして喪失を抱えた者同士がその穴を埋め、助け合っていく。
それは見ていてとても切なく、一方で美しい人間の姿でもあります。
無償の愛とは、相手を思いやり、沈黙を許容することかもしれません。
映画的なドラマチックな出来事は起きませんが、偶然の出会いとお互いの閉ざされていた心がわずかに揺れ動くことで起きる変化が心の “救い” となり、それこそが観ている人にとって大きなドラマになるのです。
そして、ショーンがお菓子をそっとテーブルの上に置くように、押し付けでも強要でも見返りを求める愛ではなく、そっと見守る愛が優しい。
“誰かが自分のためだけに何かしてくれる” という経験がなかったコットにとって、それは驚きだったに違いありません。
だからコットはショーンを手伝い始めます。
“何かをされる” 存在から、自らの意思で “自分が誰かの役に立つ” 存在に変わろうとするのです。
しかし、仲が深まるほど観ていて切なくなります。
それは、この関係が “期限付き” だと観ている人は分かっているからです。
そしてショーンは過去の喪失を繰り返したくないという思いが強く、コットに対して敢えて壁を作ります。
その様子が、一層胸を締め付けるのです。
そしてラストは “泣かせようとする映画” ではなく、敢えて “余韻を残す映画” にしています。
もちろん号泣する人はしますが、そこまで単純な話ではなく、非常に曖昧で複雑な終わり方をするのです。
何も終わっていないし、むしろこれから何か始まるかもしれません。
ちなみに原題はもはや使う人がほとんどいないアイルランド語で、劇中でもアイルランド語がつかわれています。
素晴らしい映画でした。
