ライブ・フレッシュ

原題 Carne tremula
製作年 1997
製作国 スペイン・フランス
監督 ペドロ・アルモドバル
脚本 ペドロ・アルモドバル、 レイ・ロリガ、 ホルヘ・ゲリカエチェバァリア
音楽 アルベルト・イグレシアス
出演 リベルト・ラバル、 フランチェスカ・ネリ、 ハビエル・バルデム、 アンヘラ・モリーナ、 ホセ・サンチョ、 ペネロペ・クルス

「マドリード、1970年1月」
フランコ独裁政権、非常事態宣言下の街。
未婚の若い母が無人のバスで出産するシーンで始まる。
ペネロペ・クルス演じる母親は、その時代のスペイン女性を象徴している。
妊娠しているにも関わらず何らかの事情で村を出なければならず、マドリードでも孤立無援で子供を産み育てなければならない。
出産しても未婚の母が教会で祝福を受けることは無く、尼僧の冷たい眼差しを受けながら立ち去らねばならない。
この短い出産シーンの後、舞台は突然20年後となり、自由の無い時代に生まれた主人公のビクトルは自由の国で育っていた。
粗末な自宅の裏に高層ビルが建つ代わりに自宅は見捨てられ廃墟と化すなど、時代の大きな変化を感じさせます。

この物語は3人の男性と2人の女性にまつわる人間ドラマですが、4人と直接的な関係を持つのはビクトルだけなので、ビクトルを中心とした5人の物語と言えます。
登場人物それぞれの特徴を見ていくと…

ハビエル・バルデム演じるダビドは善良な警官に見えますが、実際は同僚の妻と不倫しており、その因果が回り巡って半身不随となる。
車椅子バスケで金メダルを取るなど活躍しますが、着ているTシャツには “100% ANiMAL” と書かれており、知性を持った人物として描かれてはいない。
更に柵の中から出られないシーンもあり、物理的には車椅子に、心理的には自分自身に閉じ込められている。
自らの行動の因果で事件を起こしたことでダビドと結婚したエレナも自分自身に閉じ込められているが、より自由なのは女性のエレナで、男性のダビドに自由は無い。

ダビドの同僚のサンチョは、男性優位思考から抜けられない伝統的な男性像です。
憎んでいた同僚を殺すには弱すぎるか頭が良すぎたため、企みは失敗するが自らは潔癖を保つ。
代わりに彼は家庭内でエプロンも付けて料理もするが、妻への暴力という罪を犯している。
1970年のマドリードなら幾らでも居場所はあったが、90年代のマドリードに彼の居場所はもはや無い。

サンチョの妻クララはフラメンコと結びつけられているように、ビクトルの母と同様、伝統的な女性を表している。
虐げられ、自由を切望した可哀そうな女性だが、残念ながら伝統から逃れられない彼女にも明るい未来は無い。
だから最期は血に染めた結婚指輪を重ね合わせ、サンチョと手を繋ぎながら絶命することになる。
伝統に縛られた人々は、新しいスペインではより厳しい未来が待ち受けている。

ビクトルとエレナは何だったのか?
映画のポスターはアルモドバル作品を非常によく表す秀逸なデザインで、映画のワンシーンですが性別の区別もつかない体の一部が点対象で重なり合う。
映画内では男女ですが、ポスターだと男同士・女同士かも判断できない。
ジェンダーの垣根を軽く飛び越えた性的なアルモドバル映画らしいポスターです。
話が逸れましたが、このポスターのようにビクトルとエレナは離れられない存在であり、対を成しているのかもしれません。
エレナはクララとは異なり縛り付けられる世界を逃れて自由を守り、罪の意識でダビドを救済する。
ビクトルも新しい価値観のスペインで育ち、貧困や不当な罪にも屈せず、純粋に愛する力を持っている。
2人は新しいスペインの象徴であり未来であり、だから次の世代に繋がる子供を宿すのです。

今回は原作が小説、かつ脚本にアルモドバル以外の人も入っているため、一見すると彼の映画にしては異色ですが、それでもやはり非常にアルモドバルらしい映画でした。

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