原題 | Collateral |
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製作年 | 2004 |
製作国 | アメリカ |
監督 | マイケル・マン |
脚本 | スチュアート・ビーティー |
音楽 | ジェームズ・ニュートン・ハワード |
出演 | トム・クルーズ、 ジェイミー・フォックス、 ジェイダ・ピンケット=スミス、 マーク・ラファロ、 ピーター・バーグ、 ブルース・マッギル |
ロサンゼルスの夜を舞台にしたら右に出る者はいないマイケル・マン監督が、ロサンゼルスの夜のみを舞台に描く。
画質が粗いのに美しい。時折挟み込まれる夜の空撮が美しい。
魅力的に見せるためにわざわざ道路に水を撒き、外灯を道路に反射させて撮影したというこだわりが随所に見て取れる。
サスペンスなのに、冒頭のジェイミーフォックスとジェイダ・ピンケット=スミスのまったりとしたシーンが長い。
が、これがまた素晴らしい雰囲気で、2人のキャラクター描写に説得力を与えると共にLAの美しい夜の風景を映し出す。
一見すると『ドライブ・イン・マンハッタン』のようだが、ガサツなドライバー(ショーン・ペン)とは違い、スマートさを持ち合わせたジェイミー・フォックスだから会話も安心して聞いていられる。
この冒頭だけで、『(なぜだか下ネタいっぱいの)ドライブ・イン・マンハッタン』1本を超えているかもしれない。
音は旋律を離れ、即興演奏に。今夜みたいに。
映画は5つの目的地を巡り、それぞれでドラマが起こる。
ベースは会話劇。会話の最中に突然アクションが起こり、また、アクション間の車中で会話劇が繰り広げられる。
その緩急と静けさが、映画に深みを与えている。
特にジャズクラブのシーンはその緩急が存分に堪能できます。
人生とは、他の計画を立てている間に起こることだ
マックスはリムジン・サービスでビジネスを立ち上げることを夢見ている等身大の人。
映画の主人公にありがちな “誰かが考えてそこに置かれた設定” ではなく、リアルにそうしたいと願っている人だ。
それがヒシヒシと伝わってくる。
アニーも映画のヒロインにありがちな “巻き込まれちゃって大変だけど映画だから頑張る” 女性ではなく、リアルに巻き込まれた善良な人だ。
その抑えに抑えた演技と演出が、マイケル・マンの描きたかった世界観なのでしょう。
君には、ほとんどの人間が備えているはずの標準的な部分が欠けている
そして、驚きの悪役トム・クルーズ。
珍しく変な張り切り方をせず、変に力が入った演技もせず、(いつもの全力疾走はするが)冷静さと冷徹さを失わない演技を貫き通す。
「なんだ、こういう演技も出来るんだ」という驚き。
でも「出てきた瞬間トム・クルーズ」という、”隠しも薄めしないダダ漏れの存在感” は役者としてどうなんだろう…
こういう役を選んだのなら、「これトム・クルーズなの?」と観客が驚くくらい別人になって欲しい気もする。
とはいえ登場人物3人のキャラクターとそれに合わせた演技が見事で、ラストが電車のシーンで良かったのか?という疑問は残りつつ、この映画は雰囲気も含めてとても素晴らしい。
『ラスト・オブ・モヒカン』から始まり『コラテラル』までのマイケル・マン監督による5作品はどれも素晴らしく、それだけに本作以降の監督作は…という落胆はあるが、この『コラテラル』はマン監督が残した最後の輝きなのかもしれません。