| 原題 | Come See the Paradise |
|---|---|
| 製作年 | 1990 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | アラン・パーカー |
| 脚本 | アラン・パーカー |
| 音楽 | ランディ・エデルマン |
| 出演 | デニス・クエイド、 タムリン・トミタ、 サブ・シモノ、 シズコ・ホシ、 スタン・エギ、 ロナルド・ヤマモト、 アケミ・ニシノ、 ナオミ・ナカノ、 ブラディ・ツルタニ |
様々な社会的題材を感情的な映画にまとめ上げるアラン・パーカー監督が、太平洋戦争時代の日系アメリカ人を中心に描きます。
『ヒマラヤ杉に降る雪』など戦時中の日系アメリカ人を描いた映画はありますが、日系アメリカ人の収容所まで描いた映画(ドキュメンタリーを除く)は珍しいでしょう。
そういう意味でこの題材は特に日本人にとっては非常に重要ですが、描かれ方はかなり映画的に配慮されたもので、少し違和感があります。
つまり社会的には重いテーマを扱える題材ながら、これは他にもよくある “戦争に影響を受けた恋愛” のメロドラマに落ち着いてしまう。
一方で、これはデニス・クエイド演じる左翼系アメリカ人ジャックを登場させることで、映画は少し複雑さを増します。
ジャックはもちろんアメリカ人ですが、同じアメリカ人から見ても彼は共産主義者というレッテルを貼られます。
彼の場合は意図せず過激な抗議活動に加担してしまいましたが、そうでなくても戦時下において “思想的に危険な者” という眼差しが向けられたでしょう。
カワムラ家を含む日系アメリカ人ももちろんアメリカ人ですが、ドイツ系アメリカ人やイタリア系アメリカ人は資産徴収や収容所送りになりませんでしたが、日系だけは迫害を受けます。
どの国にも言えることですが、「国籍は何かを保証するものではなく、思想や人種で簡単に分裂するもの」という見方もできます。
そうすると、現代にも通ずるアメリカを含む多くの国に当てはまる問題を描いているようにも見える。
しかし、この映画はその可能性を十分に掘り下げず、社会的視点を広げるよりも恋愛ドラマとしての感情の起伏を優先し、結果として大きいはずのテーマを十分に掘り下げていません。そこが非常にもったいない点です。
日系アメリカ人差別そのものよりも、「国家は危機の時、人種や思想で国民を容易に選別する」という普遍的問題に踏み込むべきだったのではないでしょうか。
恋愛的苦難は描きますが、差別の描写はとても配慮されています。
引き裂かれることもなく、ジャックは脱走を繰り返して度々会いに来ます。そして過去の左翼活動がバレても大きく罰せられることもありません。
兄は帰ってきませんが、夫は帰ってきます。
このストーリーで何かが悪いわけではありません。
もっと悲劇的に描くべきと言っているわけでもありません。
ただ、わざわざこの背景で描いたのに何も活かそうとしていないと感じてしまうのです。
