原題 | Conclave |
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製作年 | 2024 |
製作国 | アメリカ・イギリス |
監督 | エドワード・ベルガー |
脚本 | ピーター・ストローハン |
音楽 | フォルカー・ベルテルマン |
出演 | レイフ・ファインズ、 スタンリー・トゥッチ、 ジョン・リスゴー、 イザベラ・ロッセリーニ、 セルジオ・カステリット、 カルロス・ディエス、 ルシアン・ムサマティ |
冒頭で1人が死に、多数が密室に閉じ込められる。
とくれば、それだけでサスペンスの始まりです。
この映画は “コンクラーベ” を題材にしていますが、基本設定は犯人捜しや推理ものと一緒。
「犯人は誰だ」の代わりに、疑心暗鬼になりながら「次期教皇は誰だ」を皆で探し当てるのです。
更に宗教も絡んでくるので社会性もある映画だと思っていましたが、かなり娯楽寄りだった点は予想外。
それでもこの映画は、この時代において「神を信じるとはどういうことか?」を巧みに突いてくる。
冒頭から隠蔽や権力争いの匂いをプンプンさせ、コンクラーベのために集まった枢機卿たちは中庭に大量の煙草の吸殻を捨て、神の教えをマスターしているはずなのに政治の世界と同様、保守・リベラル論争や権力闘争に明け暮れ、候補者たちは潔白ではなく何かしら汚点を抱えている。
そして、男性のみの枢機卿を支えるのは、召使のように仕える女性の修道女たちだ。
「神の教えを説く組織」の本当の実態は分からないが、人間である以上、映画に描かれる様子は「当たらずも遠からずでは?」と思わせる。
ストーリーは二転三転あるかと思いきや、意外とすんなり進んでいきます。
また、最近の映画にありがちな「情報量多めで着いていけない」ということもなく、静かで分かりやすく、じっくり考えながら観ることができる。
だから冒頭で登場する謎の枢機卿ベニテスが悪役ではなかったことに、逆に驚いてしまいました。
教会は伝統ではなく、過去でもない
教会は前進するものです
その通りだと思いますが、私はキリスト教徒でもカトリックでもないので、カトリックの方はどう考えているのでしょう?
キリスト教が絶対だった時代はとうの昔に終わり、その後は停滞と前進を繰り返しながら「何とか時代に取り残されないよう着いてきた」という感じでしょうか。
“確信” の狭間で、生きる気持ちがわかる
ベニテスの正体とオチには “なるほど、そう来たか” でしたが、ローレンス枢機卿とベニテス枢機卿が主張する意見はその通りですね。
カトリックを敵として描いた漫画「チ。」でも同じような言葉が何度も使われていましたが、「疑うこと」「真理を追究しようとすること」は宗教だけでなく、哲学や学術にも繋がる重要なスタンスです。
そしてこの映画を観た後に自分たちの世界を振り返ってみると、世界は有能な指導者を選べているのでしょうか?
白い煙が上がっている国は本当にあるのでしょうか?