| 原題 | Dolor y gloria |
|---|---|
| 製作年 | 2019 |
| 製作国 | スペイン |
| 監督 | ペドロ・アルモドバル |
| 脚本 | ペドロ・アルモドバル |
| 音楽 | アルベルト・イグレシアス |
| 出演 | アントニオ・バンデラス、 ペネロペ・クルス、 アシエル・エチェアンディア、 レオナルド・スバラグリア 、 ノラ・ナバス、 セシリア・ロス |
『バッド・エデュケーション』に続き、ペドロ・アルモドバル監督の自伝要素が非常に強い作品。
アルモドバル作品の特徴である “記憶の過去を何往復もする”、”劇中劇が挿入される” はそのままに、ラストはなんと “この映画を撮っているシーン” で終わります。
つまり、この映画は様々な模様を描きますが、幻想ではなく万華鏡のように鏡を通して「すべて現実と直接的に繋がっている」のです。
そしてタイトルと冒頭から分かるように、自分の人生は “苦痛” との闘いだったと…
自分の肉体を痛みと病によって知った
30歳まではほぼ無意識に過ごしたが
やがて自分の頭とその中身に目覚めた
喜びと知識の源であるが
苦痛への無限の可能性も持つ
映画では数々の身体的症状で満身創痍ですが、”頭と中身に目覚めた” とあるので、実際には肉体の痛みではなく精神的な痛みだったのかもしれません。
性的マイノリティ、神学校での虐待、映画製作の悩み、母との確執、恋愛など、人生における様々な痛みを経験することで自分を知ったのです。
主人公サルバドール(アルモドバルと何となく音が似ている)が32年前に監督した映画の修復版が、マドリードで再上映される。
友人(セシリア・ロス)が「30年前」と言うのに対し、はっきりと「32年前だ」と修正する。
この映画の32年前と言えば『欲望の法則』を制作した年で、実際に2017年に『欲望の法則』の修正版が再上映され、盟友カルメン・マウラと共に登壇している。
なのでこの時、映画で描かれたような確執があり、それがアルモドバル監督のその後の人生に大きな影を残したようです。
『欲望の法則』に主演したエウセビオ・ポンセラは実際にヘロイン中毒に悩まされ、アルゼンチン移住後に克服できたそうで、また自らをトリセクシャルと認めています。
つまり『ペイン・アンド・グローリー』に登場するアルベルトとフェデリコは、どちらもエウセビオ・ポンセラのことなんですね。
過去の描写では『バッド・エデュケーション』と同じく神学校のエピソードも少し出てきますが、メインは母親の愛と自身の性自認のきっかけです。
実際は兄のアグスティン(アルモドバル作品のプロデューサー)がいるので一人っ子ではありませんが、貧しくも優秀で母の愛に包まれて育った様子がうかがえます。
“洞窟の家” を美しく改装していく描写から、映画で見せる美的センスは母譲りなのだと分かります。
しかし最後になって「故郷の描写で大勢が傷ついた」「自分を遠ざけた」と母親から苦言を呈され、非常に辛い思いをします。
また、母がカトリックの装飾具をほどくのを手伝おうとして「お前には出来ない」と言われる描写から、宗教感に対する溝もあったと分かります。
母親との会話でもアルベルトとの会話でも「これは映画のための情報収集か?」と言われるシーンもあります。
この映画のタイトル『痛みと栄光』は、『私の秘密の花』の主人公が書いた小説『痛みと人生』(この小説の内容は『ボルベール 帰郷』です)に似ているように、彼はいつも過去の自他作品から “何か引用できないか”、”自分の映画にどう生かすか” と考え続けていたのでしょう。
様々な人生の痛みを振り返り、後悔し、内省し、過去と和解しつつ、それでもストイックに映画を作り続ける。
その恐れを知らない自己顕示の行為は、辛苦を内在しながら生を渇望する “ペドロ・アルモドバル” という一人の偉大な芸術家を映し出しています。
