| 原題 | Emilia Perez |
|---|---|
| 製作年 | 2024 |
| 製作国 | フランス |
| 監督 | ジャック・オーディアール |
| 脚本 | ジャック・オーディアール |
| 音楽 | クレマン・デュコル、 カミーユ |
| 出演 | ゾーイ・サルダナ、 カルラ・ソフィア・ガスコン、 セレーナ・ゴメス、 アドリアーナ・パス、 マーク・イヴァニール、 エドガー・ラミレス |
欧州の数々の映画賞を受賞してきたフランスのジャック・オーディアール監督が、何とメキシコを舞台にしたミュージカルを作ってしまう。
元は脚本家で、監督デビュー後はフレンチ・ノワールのハードボイルドを主戦場とし、2012年の『君と歩く世界』からラブストーリーや家族を描き初め、撮るたびに新たな世界を切り開いてきました。(ジャック・オーディアール監督についてのブログは こちら⇒)
作風はどんどんモダンになっていましたが、今度の映画は実験的とも言えるくらい異色です。
オーディアール監督の映画を知っている人にとっては予想しなかった映画スタイルで、フレンチシェフが創作するスパイシーなエスニック料理を味わうような感覚になり、それを体験するだけでも観る価値があるかもしれません。
これまでの作品でも無名の俳優(≒素人)を抜擢して驚きを与えてきましたが、今回もカルラ・ソフィア・ガスコンというトランスジェンダー女優を採用し、見事に役に当てはめます。
この無名の主演女優に対し、もう1人の主演はミュージカルとは程遠い印象のゾーイ・サルダナで、監督はこれまでの作品からミュージカルの “ミ” の字も感じさせないジャック・オーディアールです。
それら様々なギャップを混ぜ合わせ、ダミアン・ジャレ(振付師)という触媒を加えて恐るべき化学反応を起こさせ、生成されて出てきたのが “現代的ミュージカル” でした。
ラップ調のセリフ回しや演劇調の演出もあり異色のミュージカルですが、各シーンが相当なレベルに作り込まれ、観る者を驚かせます。
オーディアール監督がこれまでの作品で描いてきた共通テーマは以下ですが、よく見ると今回もそのテーマをベースに描かれていることが分かります。
“未熟な人間”
“異なる価値観の衝突”
“最後は愛”
Changing the body changes society
体が変われば、社会が変わる
Changing society changes the soul
社会が変われば、心が変わる
Changing the soul changes society
心が変われば、社会が変わり
Changing society changes it all
すべてが変わる
突然リタのセリフがラップ調になり、こう訴えかけるように、描かれるのは “ジェンダーを通じた社会” と “拗(こじ)れた愛” です。
舞台としたメキシコから「メキシコを正しく描写していない」と猛反発を受けていますが、これはメキシコを描いた映画ではなく、トランスジェンダーが感じる社会の恐怖と安息の舞台を現実の国にしただけで、本来はどこでも良かったはず。
恐らくは主演のカルラ・ソフィア・ガスコンがメキシコ在住だったからでしょう。
そもそもフランス人の監督が、スペイン、ドミニカ共和国、アメリカ、メキシコ出身の女優を使い、英語とスペイン語で作った映画です。
だからテーマそのものに目を向けるべきで、舞台は特定の国ではありません。
この歌詞にある通り、前半は “現在の社会がトランスジェンダーにとって如何に生き辛いか”、そして本来のジェンダーに変わることで、”本人から見える世界はどう変わるのか?” を描いています。
殺伐とした人生を送っていたマニタスは性転換してエミリアとなり、今は幸福です。
しかし、本人から見た世界は変わっても、周囲の人から見た世界は変わりません。
エミリアはこのギャップに気付かないのです。
体も心も変わったエミリアは行動することで社会と未来は少し変わりますが、過去は修復できません。
だから過去と決別しなければならなかったのに、エミリアは過去と関係を持ち続けます。
悪事を働いた過去の自分に対する贖罪からも、本当は背を向けなければならなかった。
しかし彼女は贖罪の念にかられ、彼女が得るはずだった自由は徐々に奪われる。
過去の人生は捨てたはずなのに、妻と子供を傍に置きたいと願う。
大きな矛盾ですが、人は性別や外見を変えても、すべてを捨て去ることは出来ないのです。
半分は彼、半分は彼女
半分はパパ、半分は叔母
半分は裕福、半分は貧しい
半分は王、半分は女王
半分はここに、半分は向こうに
半分は死んで、半分は生きてる
半分は中に、半分は外へ
すべてあって、何もない
私は誰?、分からない
私が感じるものが私
エミリア・ペレスは完全に変身できず、大きな矛盾をはらんでしまった。
一つは “贖罪”、そしてもう一つは “過去の愛” のためです。
“贖罪” によって新たな愛を手に入れるが、”過去の愛” を捨て去ることができなかったために、すべて消失してしまう。
前半のドラマティックな展開と異なり、後半は内輪もめドラマで終わってしまう。
それでもこの映画は観るに値する実験的作品であり、実はしっかりとしたテーマが隠されているのです。
