原題 | The Interpreter |
製作年 | 2005 |
製作国 | アメリカ |
監督 | シドニー・ポラック |
脚本 | チャールズ・ランドルフ、 スコット・フランク、 スティーヴン・ザイリアン |
音楽 | ジェームズ・ニュートン・ハワード |
出演 | ニコール・キッドマン、 ショーン・ペン、 キャサリン・キーナー、 イェスパー・クリステンセン、 イヴァン・アタル |
ニコール・キッドマン、ショーン・ペン共演の政治サスペンス。国連本部で通訳として働く女性と、シークレットサービスの捜査官が、アフリカ某国の暗殺計画に巻き込まれていく。
NYの国連本部が舞台ですが、どうみても本物を使っているとしか思えない映像で、観ている途中は「どこでロケしたんだ?」と不思議に思い、後でWikipediaを見たら実際に国連本部を使ったとのこと。国連はこれまで映画も含めて内部でのロケを許可してきませんでしたが、この映画で初めて特別に許可を与えたそうです。それだけでもこの作品は格が違うことが分かりますね。ですので立ち入り許可の問題で、国連内のエキストラはすべて国連職員だそうです。
ちょうど前日に「L.A.ギャングストーリー」を観たので2日続けてのショーン・ペンは少し重かったですが、安心と安定のシドニー・ポラック監督ということで存分に楽しむことができました。テンポも速すぎず、ワンカットごとに美しいシーンがあり、丁寧に作りこまれた良作です。ストーリーや細かな描写に不可思議な点があって突っ込みどころも多く、そこを厳しく評価する人もいますが、私は「楽しめる映画として」非常に良作だと思います。
シドニー・ポラックは60年代後半から80年代にかけて「ひとりぼっちの青春」「追憶」「トッツィー」「愛と哀しみの果て」でアカデミーにノミネート/受賞し、90年代にも「ハバナ」「ザ・ファーム」「サブリナ」などの娯楽作を手掛けてきた名監督です。2008年没ということで、残念ながらこれが遺作となってしまいました。アンソニー・ミンゲラはポラックと監督/製作/脚本で何度もタッグを組んだ盟友でしたが、2人とも2008年に亡くなっており、共に製作を務めた「愛を読む人」は2人の没後にアカデミー作品賞にノミネートされたといういきさつがあります。
「先生はこの部屋を生きたまま出ることは決してないだろう」という正体不明の声を偶然聞いてしまうところから事件はスタートするのですが、冒頭からの展開はさすがに「え?」って思ってしまいました。
この場面の前に、①なぜか金属探知機が1つ壊れただけで全職員が退出させられ、②なぜか主人公だけが忘れた荷物を取りに入ることができ、③なぜか通訳システムを通じて声が聞こえてくる、という映画ならではの設定が立て続けに3つもあると、「それは無理しすぎだろ~」という正体不明の心の声が正直システムを通じて私にも聞こえてしまいました。でもいいんです。映画だから。ここから楽しければいいんです。
そしてニコール・キッドマン。2週間前に「ザ・ゴールドフィンチ」を観ましたが、その時とまったく同じ「透明感のある感情を抑えた女性」という役作り。その安定感が素晴らしいです。
私たち ”カペラ” ね 川の両岸に立っている
私のイメージでは「感情や表情を抑えたクールな演技」vs「感情や表情をくどいほどに滲ませる演技」という構図だったので、このセリフの通り正に「カペラ」な2人。でも主役2人のキャスティングは様々な候補の中から選ばれたのかと思いきや、実は初めからポラック監督の構想通りだったようです。ニコール・キッドマンは2003年のアンソニー・ミンゲラ監督/シドニー・ポラック制作の「コールドマウンテン」で主演済みですが、「ミスティック・リバー」や「21グラム」などで多忙な時期だったショーン・ペンには一度断られ、それでも説得して演じてもらったそうです。(だからこの時のショーン・ペンは冒頭から疲れているんですね)
ちなみに撮影中に「ミスティック・リバー」でショーン・ペンがアカデミー主演男優賞を受賞し、その時のプレゼンターは偶然にもニコール・キッドマンでした。縁があるんです、この2人。
銃声が響き 何も聞こえなかった。
だが人間の声は他の物音と違っていた。それは他の騒音に打ち勝つ力を持っていた。
叫び声でもなく、小さな囁き声なのに、かすかな声でも銃声に勝るのだ。
それが真実を語るときは。
独裁者(ズワーニ)/対抗勢力ともに、「初めは善人だったが、どこかで道を踏み外して非人道的になっていった」という部分が刺さります。
国連というトップレベルの国際問題を扱う組織では、単純な善悪では図れない様々な事象と向き合わねばならず、この映画でも国連の立場に言及しつつ、最後は中立または曖昧さを残し、司法に委ねるという終わり方でした。
ただ、「銃よりも言葉を」をという点は一貫した主張だったと思います。このシーンの最後、アップで写されたズワーニに被せるようにシルヴィアからトビンに銃を受け渡すカットは、まさにその象徴でした。監督が狙いを持って撮ったワンシーンです。
また、ストーリーの途中で「嘘をつかないことは真実を語ることと同じ」というセリフが出てきますが、実はこれと同じセリフがポラックの監督作で他に2度出てくるそうです。(いのちの紐(1965)/コンドル(1975))
僕らはもうカペラじゃない。同じ岸に立ってる。
なので無理に恋愛感情を抱かせる必要はなく、2人を単に同志として描いても十分感情移入できるのですが、なぜか恋心を抱いてしまうんですね。トビーの想いにシルヴィアも揺れるのですが、そこはさすがのニコールで、最後までクールな姿勢を崩さず去っていく。
ところで、このラストシーンは冒頭からずっとショーン・ペンが柵の上に座っていて違和感がありましたが、ニコール・キッドマンは身長が180cmあるので、映画によってはあからさまに共演者と並んだカットが少ない。ですので、このシーンもその配慮だと思います。実はこのシーンの最後にニコール・キッドマンが振り返って歩き出すところで背が高すぎて木の枝に当たりそうになり、思わず避けていました。監督に気づかれたら撮り直しだったんじゃないかな。
監督・男優・女優ともにアカデミー賞の常連だけあって、見ごたえのある映画でした。