ジョーカー

原題 Joker
製作年 2019
製作国 アメリカ
監督 トッド・フィリップス
脚本 トッド・フィリップス、 スコット・シルヴァー
音楽 ヒドゥル・グドナドッティル
出演 ホアキン・フェニックス、 ロバート・デ・ニーロ、 ザジー・ビーツ、 フランセス・コンロイ、 ブレット・カレン

『全身ハードコア GGアリン』でデビューしたトッド・フィリップス監督。
その後、20年間に幾つもの低予算コメディをヒットさせ、いきなり『ジョーカー』で社会派に転進。
ジョーカーとなって世間を揺るがしたアーサー・フレックは売れないコメディアンだったが、『ジョーカー』を作って世間を揺るがしたトッド・フィリップスは売れっ子コメディ監督でした。

頭をピストルで撃ち抜くポーズから分かるように、この映画は明確に『タクシードライバー』を意識している。
また、全体構成は『タクシードライバー』と同じくマーティン・スコセッシ監督&ロバート・デニーロ主演の『キング・オブ・コメディ』そのものだ。
妄想癖の主人公が、今回は司会者を誘拐ではなく撃ち殺す。
本作で司会者役がロバート・デニーロだったのも、その繋がりでしょう。
「バットマン」のコミックが生まれた1930年代は世界恐慌の影響でニューヨークの治安は悪く、富裕層を狙った犯罪も多発していました。
本来のゴッサム・シティはその頃のニューヨークがモデルかもしれませんが、『タクシードライバー』が描かれた1970年代のニューヨークも閉塞感が漂っており、ブルックリン生まれのトッド・フィリップス監督はその時期にニューヨークで少年時代を過ごしました。
なので、トッド・フィリップス監督にとってのゴッサム・シティはその頃のニューヨークで、ジョーカーはデニーロ演じるトラヴィス・ビックルでありルパート・パプキンだったのかもしれません。

 

狂ってるのは僕か? それとも世間?

この映画は、”ジョーカーはなぜ生まれたのか?” というより、”なぜジョーカーという存在は生まれてしまうのか?” を考えようとした映画です。
貧困、治安悪化、精神疾患、格差社会、幼少期の虐待、緊縮財政、形骸化したメンタルケア、扇動する人々など、様々な要因が描かれますが、明確な因果関係は示されません。
なぜなら全てが影響しているので、”どれが原因” とは明確には示せないのでしょう。

 

自分が存在するのか分からなかった。
でも僕はいる。世間も気づき始めた。

つまり社会は常に、いわゆる「無敵の人」を生み出してしまう可能性がある。
正確には生み出されるというより、ずっと存在していたものが、ある日浮き彫りになる。
そして「無敵の人」を祭り上げ、ピエロの仮面を被り、匿名の下で現状を批判して被害を拡大させ、自己肯定感を高めようと躍起になる人々も。

ジョーカーはある人々にとって “恐怖” や “最悪” の象徴だが、ある人々にとっては “希望の光” なのかもしれない。
後者の割合はずっと少ないと思っていたが、実は半分の人々は後者かもしれないということが近年明らかになった気がします。

 

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