原題 | Joyland |
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製作年 | 2022 |
製作国 | パキスタン |
監督 | サーイム・サーディク |
脚本 | サーイム・サーディク、 マギー・ブリッグス |
音楽 | アブドゥッラー・シディキ |
出演 | アリ・ジュネージョー、 ラスティ・ファルーク、 アリーナ・ハーン、 サルワット・ギラーニ、 ソハイル・サミール、 サルマーン・ピアザダ、 サニア・サイード |
初めて観るパキスタン映画。
描かれるのは、映画でよく描かれてきた家父長制を中心とした社会の物語。
そこに、これも映画で良く描かれてきたトランスジェンダーも含めて話は進んでいく。
宗教(イスラム)的な観点が盛り込まれていないのは、宗教抜きに普遍的な問題を描きたかったからか、政府の反発を恐れたからでしょう。
恐らくパキスタンの現実はタリバン政府と宗教も絡んでもっと抑圧された社会だと思われますが、映画は十分悲劇的ながら割とマイルドに描かれている。
主人公は社会に馴染めず主夫の立場を受け入れて過ごす。
それでも男だからと稼ぐことを求められ、新しい世界を見つけてしまう。
代わりに主婦となった妻は、 “家という名の檻” に馴染めない。
元から社会に馴染めないトランスジェンダーのビバは、社会に居場所を築こうと奮闘する。
じゃあパキスタンだから居場所がないのかというと、それはまだまだ世界共通の悩みであり問題。
すべてが自由で丸く収まる世の中なんてない。
だから皆、どこかで折り合いを付けて生きている。
その “折り合い” が受け入れられないと、また不満が溜まって爆発してしまうと、こういうことが起きてしまう。
何が “固有の問題” で、何が “普遍的な問題” なのか?
その整理が付けられないと、せっかくパキスタンの映画を観た意味がないのですが、どうにも整理が付けられず困っています…