| 原題 | Juror #2 |
|---|---|
| 製作年 | 2024 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | クリント・イーストウッド |
| 脚本 | ジョナサン・エイブラムズ |
| 音楽 | マーク・マンシーナ |
| 出演 | ニコラス・ホルト、 トニ・コレット、 J・K・シモンズ、 クリス・メッシーナ、 ゾーイ・ドゥイッチ、 セドリック・ヤーブロー、 キーファー・サザーランド |
相変わらずクリント・イーストウッドは卒のない映画を作り続ける優れた監督です。
2000年以降の監督作の半分以上は史実を基にした作品ですが、『人生の特等席』『クライ・マッチョ』『運び屋』のような小さな娯楽作も本当に質が高く、大いに楽しめます。
イーストウッド監督の映画は声高に何かを主張することはないが、”正しい行いは何か?” を常に考えさせてくる。
人生における “小さな選択” が積み重なり、(映画的ではなく)どこかで人間的な問題が起きている。
そして俳優と演技を中心に映し、オーソドックスな展開と編集を決して踏み外さない。
素晴らしい!
この映画も、「立場によって “何が正義か” が変わってくる」様子を絶妙の設定で描いており、非常に考えさせられます。
晩年のイーストウッド監督の映画には、はっきりした善人も悪人も登場せず、境界線は非常に曖昧です。
この映画でも “行き過ぎた正義”、”思い込みの正義” が、いかに脆く誤りで不正義を生み出すか を描いています。
さらに本来民主的である “多数の意見” は真実も正義も導かず、むしろ弊害をもたらしています。
じゃあ “どうすれば正解だったか?” かも非常に難しい問題です。
司法制度に乾杯。
完璧じゃないが、無いよりマシだ。
世の中には白黒つけられず非常に曖昧な領域がありますが、法的/制度的には何らかの決定を下さなくてはなりません。
現在の民主主義や司法を含む各種制度は多くの問題を孕んでいますが、「 “他の主義や制度よりマシ” だから普及している」という通説が良く分かります。
今回のケースで言うと、問題の90%はカップル側にあります。
普段から酔って喧嘩し、無軌道な行動をします。
今回も大雨で視界不良の暗くて細い道路を女性は歩き、男性は放置しました。
もし今回の事故が無くても、いつかどこかで何かが起きたでしょう。
だから、誰が撥ねたか(または自分で足を滑らせて落ちたか)は運でしかなく、撥ねた人に大きな罪を負わせるべきではありません。
でも自動車 vs 歩行者だと、圧倒的に自動車側の過失を問う。
その時点で制度上の問題があり、更に撥ねたという決定的証拠がなくても「疑わしきは罰する」という陪審員の雰囲気があります。
だから、いかに善人であっても「自分がやったかも」と言い出す正義は貫けない。
そして最後の問題シーン。
正義を貫こうとしたのか、ただ真相を聞きに来ただけなのか、ゾワゾワする感覚を残して終わります。
個人的にはとても映画的で良い終わり方だと思いました。
