| 原題 | Kinetta |
|---|---|
| 製作年 | 2005 |
| 製作国 | ギリシャ |
| 監督 | ヨルゴス・ランティモス |
| 脚本 | ヨルゴス・ランティモス、 ヨルゴス・カカナキス |
| 撮影 | ティミオス・バカタキス |
| 出演 | エバンジェリア・ランドー、 アリス・セルベタリス、 コスタス・ヒコミノス |
独自の世界観と表現方式で映画を作り出してきたヨルゴス・ランティモス監督のデビュー作。
その始まりは、これまで描いてきた世界観と表現方式の究極の形かもしれません。
ヨルゴス・ランティモス監督の全作品に共通するテーマと言えば、
・縛られた世界(=制約のある世界)
この映画も「殺人事件を演じる」という謎の制約下でストーリーは進んでいきますが、特に展開も発展もなく、ただ映し出される。
3作目の『アルプス』でも “死者を演じる” 謎の集団が出てくるので、この映画はその原点と言えるかもしれません。
そして、抑揚のないセリフで演じさせるというという共通項も既に見られますが、そもそもセリフ自体が異様に少ない。
名監督たちのデビュー作に見られる “粗削り” を超え、もはや “実験的” な映画です。
映画は日常世界とは異なる “作り出された世界” で、俳優はその “作り出された世界” を現実だと観客に感じてもらえるように演技する。
しかし、ランティモス監督の映画は “作り出された世界” が異様なため、観客は逆に “自分たちが生きている世界こそがまともな現実なのだ” と自然と理解する。
そうすると、「 “現実だと観客に感じてもらえるように演技をする” はずの俳優は、一体何のために演じているのか?」という疑問が湧くが、その答えは「敢えて “虚構を作り出す” ために演じている」としか言えなくなります。
『キネッタ』を発展させた『アルプス』に至っては、ランティモス監督が描き出す虚構の世界の中で、謎の演技集団によって更に虚構が作り出されるという “入れ子構造” になっている。
なぜランティモス監督は虚構を描き続けるのか?
最新作まで追って観ていくと、全作を通じて実は “社会と人間” を描いていることが分かります。
そして、
“この世界はおかしいのか?”
それとも
“我々こそがおかしな世界なのか?”
を問いかけます。
そして、どの作品も
“社会的な束縛に気付き”
“逃れようとするが”
“逃れられない(元に戻る)”
ことが分かります。
ですが、デビュー作ではそこまで発展しておらず “束縛” のみを描き、”この世界はおかしいのか?” と投げかけるところで終わっている。
だから、本当に出発点の映画なのです。
