| 原題 | La piel que habito |
|---|---|
| 製作年 | 2011 |
| 製作国 | スペイン |
| 監督 | ペドロ・アルモドバル |
| 脚本 | ペドロ・アルモドバル、 アグスティン・アルモドバル |
| 音楽 | アルベルト・イグレシアス |
| 出演 | アントニオ・バンデラス、 エレナ・アナヤ、 マリサ・パレデス、 ジャン・コルネット、 ロベルト・アラモ、 ブランカ・スアレス、 スシ・サンチェス |
これはボディホラーであり、サイコスリラーであり、愛と復讐と狂気の物語です。
多くの批評家がこの作品を解析しようとしましたが、的を得た考察は得られませんでした。
アイデンティティの探求を描いた多くの作品をアルモドバル監督が手掛けたからといって、この作品もそうとは限りません。
不快さを覆い隠す鮮烈なビジュアルとストーリーのインパクトは最大級ですが、時間を掛けて考えても本当の意味は良く分からないのです。
ロベルの書斎には複数の裸婦像の絵が飾られているように、主人公は自分だけが成しうる芸術を作ろうとしたのだろうか。
しかし不運なことに彼は芸術家ではなく科学者で、科学の粋を利用しつつ倫理の枠を踏み外したため、その作品は決して公に出来ない彼だけのものとなった。
そんな科学に対する風刺に加えて “愛” と “復讐” が混ざるので、複雑で深いストーリーが出来上がる。
主人公は事故の火傷がきっかけで妻を亡くす。
だから火傷もしない、蚊にも刺されない、強靭な皮膚を作り上げる。
その功績は “愛の成せる技” で、そこで踏み留まれば彼は有能な科学者に成りえたでしょう。
しかし暴行事件がきっかけで娘まで亡くし、その復讐を思いもよらない方法で実行する。
復讐と同時に、愛する妻を復活させようと試みるのです。
“愛の復讐劇” 以上に踏み込んだ見方を加えるとしたら、女性と相容れないものから “女性” を作り出そうとする “男性の暴力性” でしょうか。
アルモドバル作品の多くは女性が主人公で、ほとんどにおいて男性は良い人物像では登場しない。
そう考えると、敢えてアントニオ・バンデラスを主役に呼び戻したように、これは『アタメ』と同じ男性批判や異性愛に対する風刺なのかもしれません。
きっとその意図は含まれているはず。
もしこの映画が普通のホラーやスリラーなら、恐らく自動車事故で主人公は焼け死に、不滅の皮膚を手に入れたベラは生き残る。
そして主人公の死の間際、ベラは主人公に向かって “この皮膚を作ってくれてありがとう” と微笑む。
こんなオチでしょうか。
でもアルモドバル監督は、彼の作品に相応しい正当なラストを用意します。
ベラは “過去を取り戻し”、”親の元へと向かう”。
ラストシーンはアルモドバル監督が数々の作品で追い求めた共通テーマそのものでした。
