| 原題 | Los Abrazos Rotos |
|---|---|
| 製作年 | 2009 |
| 製作国 | スペイン |
| 監督 | ペドロ・アルモドバル |
| 脚本 | ペドロ・アルモドバル |
| 音楽 | アルベルト・イグレシアス |
| 出演 | ペネロペ・クルス、 ルイス・オマール、 ブランカ・ポルティージョ、 ホセ・ルイス・ゴメス、 タマル・ノバス、 ルーベン・オチャンディアーノ、 ロラ・ドゥエニャス |
映画を取り巻く環境や生み出す苦労を、”明るいヒッチコック風” で重層的なサスペンスに仕立てる。
優れた脚本を出し続けるアルモドバル監督をして「最も複雑な脚本だった」と言わしめる多面的なストーリーです。
主人公は盲目の元映画監督。
「視力を失う=映画作りは不可能」ながら、「目は見えなくとも脚本は書ける」と映画へのこだわりを持ち続ける。
なぜ視力を失ったのか?
直接的な原因は事故ですが、深読みすると “映画を完成させなかったから” かもしれません。
つまり、「いかなる理由があっても映画を完成させられなかった監督は失格」なのです。
主演女優との逃避行は言い逃れできませんが、その根本原因がたとえ悪徳プロデューサーの度重なる嫌がらせだったとしても…
そして目が見えなければ、相手の特徴も一つ一つ言葉で説明しないと分からない。
映画だとその必要はなく、一瞬の視覚情報で物事を把握できます。
視覚が如何に重要か、そして映画は視覚を最大限に活かした芸術だと、アルモドバル監督は冒頭に登場するチョイ役の女性でそれを伝えようとします。(なぜかラブシーンに突入しますが…)
アルモドバル監督のミューズ、ペネロペ・クルスは今回も魅力的に、プライベートでは重病の父親を抱え、表向きは大企業の社長秘書、裏の顔は高級娼婦、そして今は映画女優という多面性を持つ女性を演じます。
まぁ演技は多面的ではないし、早い段階で父親の話もなくなってしまうので、結局は “脛に傷を持つ頑張っても報われない綺麗な女性” でしかないのですが…
それでもアルモドバル監督の共通テーマであるアイデンティティ探しの一端を担い、オードリー・ヘップバーンそっくりのビジュアルで存在感を発揮します。
また、今回も彼の作品の特徴である「劇中劇」は複雑さを極めます。
メインプロット以外に、「主人公が製作する映画」「エルネストJrが撮るビデオ」という2つの映像が並行で語られます。
だが、いずれも悪用されて結果的に悲劇の材料となる。
その癒えない傷を回復させるのは、パートナーのジュディットであり、実子のディエゴであり、エルネストJrであるライ・Xでした。
“親子の繋がりや宿命” を潜ませるのも、アルモドバル作品の特徴ですね。
未完成の映画を完成させることは監督としてやり遂げなくてはならなかった責務で、主人公は家族の支援で過去に果たせなかった責任を最後に果たすのでした。
