| 原題 | Marriage Story |
|---|---|
| 製作年 | 2019 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | ノア・バームバック |
| 脚本 | ノア・バームバック |
| 音楽 | ランディ・ニューマン |
| 出演 | アダム・ドライヴァー、 スカーレット・ヨハンソン、 アラン・アルダ、 ローラ・ダーン、 レイ・リオッタ、 ジュリー・ハガティ、 メリット・ウェヴァー |
とても辛辣な映画でした。
2人で協議離婚できれば良かったのに、一方が弁護士を立てた時点で “泥沼化” する。
「弁護士費用がかさむ → 相手から更に多く取ろうとする → 権利を主張 → 泥沼 → もっと弁護士費用がかさむ」
という負のスパイラルで、弁護士にとって美味しいビジネスモデルです。
訴訟大国アメリカならではのような気もしますが、実は日本においても司法制度はほとんど一緒なので、弁護士を立てた離婚調停には気を付けたいものです。
(既婚女性を奪って結婚した会社の同僚は、相手の夫が弁護士だったので「慰謝料含めて根こそぎ獲られた」と言ってました)
ただ、この映画は司法制度を批判したい訳ではなく、司法に委ねることによって更に関係が悪化するという人間的側面を描いたものです。
監督のノア・バームバックも、「離婚を描くことで結婚を描いた」「まだ愛が残っている2人が法と代理人に翻弄されて愛が壊れる過程を描いた」と述べています。
そして表面的にはどちらか一方が悪いわけではなく、映画でも時間によって善悪が交互に入れ替わります。
基本的には「結婚期間中はチャーリーがニコールを無意識に支配していた」「離婚協議中はニコールがチャーリーを出し抜いて優位に立った」という構図で、”無意識を悪” と見るか、”意識的を悪” と見るかで意見は分かれるでしょう。
個人的には、もし男女が入れ替わっていたとしても、この状況と程度の無意識の悪であれば “意識的な悪” の方がズルいと思います。
「相手の人生を破壊して良いほどの悪事を働いていたか?」と言えば、NOと感じる人が多いのではないでしょうか。
そういったバランスの悪さもありつつ、「法の世界に関われば現実に起こりうる」こととして描きます。
なぜ2人だけで協議するつもりだったのに、ニコールは突然弁護士に依頼することにしたのか?
それは結婚中のチャーリーの言動が積み重なった結果であり、1度の軽い浮気が最後の引き金を引いたのでしょう。
そうなると、幾ら愛が残っていたとしてもこの映画のように粉々に壊れて何も残らず、最終的には勝者と敗者を生み、敗者となったチャーリーは「人と生きるとはどういうことか、愛する人を失うことでようやく分かった」とラストで熱唱せざるを得ないのです。
「チャーリーの才能に惚れ込み自らの意思でキャリアを捨ててNYに行ったのに、なぜチャーリーの才能を潰すのか?」という疑問は、この際無しです。
そういう善悪を描いているのではなく、これは愛が壊れる様を通じて “本来こうすべきだった愛” を見つめ直す映画なのです。
