アメリカ合衆国の映画製作者。(英: Quentin Jerome Tarantino、1963年3月27日 – )
1990年代前半、入り組んだプロットと犯罪と暴力の姿を描いた作品で一躍脚光を浴びた。アカデミー脚本賞とカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞している。
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経歴
幼年期 – 青年期
タランティーノはテネシー州ノックスビルで生まれた。母親は看護師のコニー・ザストゥーピル(旧姓マクヒュー/McHugh)、父親はニューヨーク・クイーンズ生まれの俳優であり音楽家でもあるトニー・タランティーノ。タランティーノの父はイタリア系アメリカ人、母親はアイルランド系アメリカ人でチェロキー族の血も引いていた。母親は僅か16歳で未婚のままタランティーノを生み、彼が生まれてから間もなく音楽家のカーティス・ザストゥーピル(Curtis Zastoupil)と結婚。以来、タランティーノは実父には一度も会った事がないという。母親も大の映画マニアで、一緒に映画を見て育つ。
1971年、タランティーノ一家はロサンゼルスのサウスベイ地区、エルセグンドに引っ越し、タランティーノはそこでホーソン・クリスチャン・スクール(Hawthorne Christian School)に通った。14歳の時、最初の脚本『ジ・アメージング・アドベンチャー・オブ・ミスター・リー』(The Amazing Adventures of Mr. Lee)を書く。16歳の時にハーバー・シティーのナーボン高校(Narbornne High School)を中退し、ジェームス・ベスト(James Best)劇団に加わり演技を学んだ。このときの経験は後の監督・脚本家・俳優人生において大きな意味を持つことになった。
22歳の時にマンハッタン・ビーチのビデオショップ「マンハッタン・ビーチ・ビデオ・アーカイブ」(Manhattan Beach Video Archives)の店員となり、ロジャー・エイヴァリーや客と様々な映画について語る日々を過ごす。1995年に同店が閉業した際には商品のビデオテープを買い取り、自宅に店内を再現している。
タランティーノは、ポッドキャスト番組「ザ・モメント」に出演した際、名声を博す以前、出世する夢を母親のコニーにこき下ろされたと明かした。母親はタランティーノに対して指で引用符を表すジェスチャーをしながら、彼の「取るに足りない作家人生」は終わったと言ったという。
「僕はね、『分かったよ、ご婦人。僕が有名な作家になっても、僕の出世では1ペニーも目にすることはない。あなたのための家もない。お母さんのためのバカンスもエルビスが乗るようなキャデラックもない。何ももらえないよ、そんなことを言ったからね』と話したんだ」とタランティーノは回想した。
映画製作の道へ
ハリウッドのパーティでローレンス・ベンダーに出会い、脚本を書くように勧められる。タランティーノは1987年に『My Best Friend’s Birthday』という作品を監督し、共同で脚本も書いている。この作品はラボでの編集中に火災で危うく失われるところであったが、この作品が後の『トゥルー・ロマンス』(トニー・スコット監督)の元ともなった。
タランティーノは『レザボア・ドッグス』で脚本家・映画監督としてデビューした。脚本が米映画俳優のハーヴェイ・カイテルに認められ、彼の出演だけでなくプロデュースも受けた本作は、カルト的ヒットを記録。第45回カンヌ国際映画祭にも特別招待作品として出品され、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭では南俊子賞(批評家賞)を受賞、映画祭期間中には次回作『パルプ・フィクション』を執筆した。
世界的にも配給され、タランティーノはデビュー作にして注目されることとなるが、監督二作目『パルプ・フィクション』では早くも第47回カンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルム・ドールを始め、数々の賞に輝き、米アカデミー賞では脚本賞も受賞、新しい米映画の旗手として認知されるに至った。1997年に公開されたエルモア・レナード原作による監督三作目『ジャッキー・ブラウン』では、深みのある演出が評価され、主演のサミュエル・L・ジャクソンが第48回ベルリン国際映画祭で銀熊賞 (男優賞)を受賞した。
1998年には舞台『暗くなるまで待って』に俳優として出演。一時期沈黙したが、『キル・ビル Vol.1』『キル・ビル Vol.2』で復活した。2004年には第57回カンヌ国際映画祭の審査委員長を務め、『誰も知らない』の柳楽優弥に史上最年少の男優賞をもたらした。
2009年には、ブラッド・ピットを主演に迎え、第二次世界大戦中を舞台に、架空のナチス殺し部隊を描いた異色のサスペンス映画『イングロリアス・バスターズ』を発表。第62回カンヌ国際映画祭でお披露目され、ナチスの軍人を演じたクリストフ・ヴァルツが男優賞を受賞。第82回アカデミー賞では、8部門にノミネートされ、クリストフ・ヴァルツが助演男優賞を受賞した。
2010年には第68回ヴェネツィア国際映画祭の審査員長を務め、元恋人のソフィア・コッポラに金獅子賞を授与した。
2012年には、黒人奴隷が主役の西部劇『ジャンゴ 繋がれざる者』を発表。第85回アカデミー賞で、タランティーノが脚本賞、クリストフ・ヴァルツが助演男優賞を再び受賞した。
2014年、最新作として『ヘイトフル・エイト』を制作するつもりで準備を進め同年の夏に撮影開始を予定していたが、同年1月に脱稿した脚本が何者かの手によって外部に流出。これをデジタルデバイスで読める形式にしたファイルがネット上に不法アップロード、そのリンクを米国ネット系メディア「ゴーカー・メディア」が一般に公開してしまうという負の連鎖が発生してしまった。その後、タランティーノは「ゴーカー・メディア」をロサンゼルス連邦地裁に告訴請求、一旦『ヘイトフル・エイト』の制作は白紙にし、2014年4月19日ロスアンゼルスでカート・ラッセル、ティム・ロス、サミュエル・L・ジャクソン、ブルース・ダーン、マイケル・マドセン等をキャストに招き、1200人の聴衆を集め、朗読会を開催した。その後、映画化に向けて脚本を書き直す意思を明らかにし、翌年に映画は公開。タランティーノが尊敬していた作曲家、エンニオ・モリコーネが作曲を担当し、モリコーネに初のアカデミー作曲賞をもたらした。
2019年、9本目の監督作品『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では、1969年のハリウッドを舞台に、マンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺害事件に焦点を当て、第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でプレミアを迎えた。同作にはレオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビーらが出演しており、第92回アカデミー賞ではブラッド・ピットに初のアカデミー助演男優賞をもたらした。また、第77回ゴールデングローブ賞では作品賞を含む3部門も受賞した。
かねてより、長編映画を十作撮って映画監督を引退すると公言している。2018年の情報では、監督第十作目は映画『スタートレック』になる見込み。
2023年秋より撮影開始の『The Movie Critic』(原題)が10作目で引退作となる見込みであったが、中止となった。
僕は映画を信仰する
人生と命を捧げてもいい
全力でやっているか?
僕はそのためにここにいる
『クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男』
オタクから偉人へ🎬
映画に対する愛と才能溢れるタランティーノ監督について、”本人以外の関係者” で製作されたドキュメンタリー。
膨大な知識と異色の才能がうかがい知れる🙂
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会ってみるとものすごいオタクだった
でも彼には才能があった
映画だから盗作と言われるが
戯曲を書いたらピュリツァー賞ものだレザボア・ドッグスは90年代の独立系映画で
ヌーヴェルヴァーグに相当する
ルールはお構いなしでスリリング誰も扱えないテーマやセリフを使いこなす
普通の白人には無理だそんな面白い脚本なんてあるのかと思ったが
これが何度読んでも面白い
馴染みのある曲を想像もしないシーンで使う
でも映像に合わせて曲が流れると
まったく新しいものに感じる
豊かで濃密な質感のモザイクが生まれる
幼い頃から黒人にも接していたから
女性や黒人の平等が正しいと知っている
だから登場人物に力強さがある
パクリという人は間違っている
オマージュでもない
より面白い映画を作るため
映画自体を道具にする
表現は好き嫌いが分かれるが
不誠実さはない
今の世界は差別に敏感過ぎて
芸術を押し殺す時がある
スタッフやキャストに義理堅い
人に感謝しファンも大切にする
人生を大切にしている
良い映画を作るために皆で話し合う
そしていつも “もうワンテイク”
なぜかって?
彼は映画作りが大好きだからさ
https://x.com/cinematographjp/status/1796827909640122601
https://x.com/cinematographjp/status/1797190873060659332
【監督作品】
・レザボア・ドッグス(1992)
・パルプ・フィクション(1994)
・ ジャッキー・ブラウン(1997)
・キル・ビル Vol.1(2003)
・キル・ビル Vol.2(2004)
・デス・プルーフ in グラインドハウス(2007)
・イングロリアス・バスターズ(2009)
・ジャンゴ 繋がれざる者(2012)
・ヘイトフル・エイト(2015)
・ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(2019)