| 原題 | Rain Man |
|---|---|
| 製作年 | 1988 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | バリー・レヴィンソン |
| 脚本 | バリー・モロー、 ロナルド・バス |
| 音楽 | ハンス・ジマー |
| 出演 | ダスティン・ホフマン、 トム・クルーズ、 ヴァレリア・ゴリノ、 ジェリー・モーレン、 ラルフ・シーモア、 バリー・レヴィンソン |
アカデミー作品賞/監督賞/脚本賞/主演男優賞の4部門を受賞した名作。
監督は、自然な会話を取り入れ人間関係の距離感を描くのが非常に上手なバリー・レヴィンソン。
80年代~90年代に優れた娯楽作を幾つも残しています。
寂しい時はレインマンが歌を歌ってくれた
主演はダスティン・ホフマンとなっていますが、この映画の主人公はトム・クルーズ演じるチャーリーです。
そしてこの映画は、“チャーリーの成長” と共に、“家族の本当の姿” 、“レイモンドの変化”、・”施設と家族” という4つの要素が含まれています。
父親の愛を受けられずに育ったチャーリーは、孤独を抱えながらビジネスに奮闘しています。
しかし父の死と遺産問題をきっかけに、自分に兄がいたことを初めて知る。
施設で暮らす兄レイモンドを当初は拒絶していたチャーリーでしたが、家族に対する共通の記憶があると気づいたことをきっかけに、初めて “気持ちの通う家族” の存在に触れていきます。
そして、たった一人の肉親として、レイモンドと絆を深めていきます。
チャーリーはずっと一人っ子だと思っていました。
子供の時、まだ定かではない記憶の片隅で歌を歌ってくれたのはチャーリー自身が作り出した “レインマン” という想像だと思っていたが、レインマン=レイモンドのことだと分かる。
レイモンドは子供の頃のチャーリーを覚えているが、目の前にいるチャーリーと子供時代のチャーリーが同一だとは分かっていないようだ。
そしてレイモンドがチャーリーを怪我させたことをきっかけに、レイモンドは病院に隔離され、チャーリーは兄がいたことを伏せて育てられる。
仕方のないこととはいえ、親の愛も十分には届かず、兄の存在すら教えられなかったチャーリーの人格形成に影響を及ぼしたことは想像に難くない。
だからチャーリーは人を愛することに対して不器用だったのかもしれない。
でも父の死をきっかけに、兄と再会することができた。
完全に壊れて何も残っていないと思われた家族の中に、わずかな “絆” が残っていたのです。
CHARLIE 僕のメインマン(親友)
レイモンドの感情は読み取りづらい。
現在であれば、自閉症にもさまざまな特性の現れ方があり、その描き方ももっと現実に即していたかもしれません。
でも80年代当時の映画であれば、このキャラクター設定は致し方なかったのでしょう。
重要なのは「意思疎通できているのか分からない」という双方のジレンマです。
表面的には意思疎通できているが本当は出来ていないかもしれないし、もしくは逆に、表面的には出来ていなくても実は出来ているのかもしれない。
実はこれは相手が知的障害者かに関わらず、人間と人間の間に必ず起こりうる問題です。
だから “言葉”や “行動” や “結果” ではなく、最後は “相手を思う気持ち” という見えないものでしか証明できないのかもしれません。
チャーリーはレイモンドを見送ることで愛を示し、気持ちと行動を切り離せないレイモンドは「君は親友だ」という片言で愛を示します。
弟との旅を通じ、変化を嫌うレイモンドが療養所の外で変化の兆しを見せたのです。
では「療養所にいることが正しい」と考える医療関係者と、「もっと兄との時間を過ごしたい」と考えるチャーリーのどちらが正しいのでしょうか?
家族と離れて暮らすことは理想的ではない。
しかし、療養所の方が安全でもあり、その答えは簡単には出せません。
ただ、レイモンドが最初に隔離された時とは違い、今はチャーリーとレイモンドの間に “絆” が存在します。
だからチャーリーはレイモンドと別れて暮らすことを受け入れたのかもしれません。
