若者のすべて

原題 Rocco e i suoi fratelli
製作年 1960
製作国 イタリア・フランス
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
脚本 ルキノ・ヴィスコンティ、 パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、 スーゾ・チェッキ・ダミーコ、 マッシモ・フランチオーザ、 エンリコ・メディオーリ
音楽 ニーノ・ロータ
出演 アラン・ドロン、 レナート・サルヴァトーリ、 アニー・ジラルド、 カティーナ・パクシヌー、 ロジェ・アナン、 スピロス・フォーカス、 マックス・カルティエ

ルキノ・ヴィスコンティ監督が、”近代化によって変わりゆく価値観” と そこで生きる家族の “業” と”因果” を描く。
父がおらず「母と男5人兄弟」の家族を中心とし、映画はこの5人兄弟の長男から五男までを1人ずつ章に分けて描いていきます。

1章:ヴィンチェンツォ(長男)
長男なので家族をまとめる役割と思いきや、映画では先頭バッターを任されるので “導入役” に過ぎません。
それがこの映画の変なところで、”古い価値観の家族中心のドラマ” なのに長男は最初と最後しか出てこないのです。
その長男は一歩先に都会(ミラノ)に出て家庭を持ちますが、行き違いにより母+4兄弟が突然押しかけ、妻の家族に拒絶されます。
都会のドライな人間関係を表すとともに、田舎と都会の断絶を描いているのかもしれません。

2章:シモーネ(次男)
野心的で衝動的で破滅型。自己中心的で家族に目を向けません。
田舎にはまだ居場所があったかもしれませんが、都会ではボクサーになることくらいしか存在価値がありません。
そして娼婦のナディアを囲い込み、愛と所有の見極めもつかず、長男不在の家族において柱となるべき存在ですが、トラブルメーカーへの道をまっすぐ進んでいきます。
ある意味、都会で陥る典型的なパターンかもしれません。

3章:ロッコ(三男)
忍耐強く献身的で、最後まで家族を守ろうとするナイスガイです。
おまけにボクシングはシモーネ以上に強い。
そんな美味しい役には、なぜかイタリア映画にフランス人だがアラン・ドロンは持って来いです。
しかしヴィスコンティ監督はそれほど甘くなく、ロッコの行き過ぎた家族愛は偽善と化し、結果的に家族も恋人も守ることはできません。
都会では、優しくて強ければ生きていけるほど甘くないのです。

4章:チーロ(四男)
波乱万丈な次男/三男を反面教師とし、自動車工場の労働者として働きながら家族を支えます。
家族の中ではトラブルメーカー(次男)と聖人(三男)の間に挟まれますが、バランス良く “良心と常識” を備え、結果的に彼が事件の尻ぬぐいをするのです。
都会では聖人が訴える性善説も通用せず、都会で生きる上での常識と地道な労働が支えになります。

5章:ルーカ(五男)
聖人の名を持つ五男はまだ幼い子供です。
目の前で起きる家族のトラブルを見て、彼は何を考え何を学び、これからどう生きていくのでしょうか。
つまりルーカは、これからの未来を表します。

それ以外にキーパーソンとしてナディアが登場しますが、彼女も都市の犠牲者なのかもしれません。
もしくはナディアは “国民” という見方もできます。
最初は強権的なシモーネに抑圧されていたナディアだが、やがてロッコが救いの手を差し伸べる。
しかし救いの手はやがて離れていき、最後は悲劇が訪れる。
一人では生きてていけない国民に対し、ファシズムのような強権に支配されても、他から救済を受けるだけでもダメで、自らの足で自立することが大事なのかもしれません。

このように都市で生きる家族を描くことで、ヴィスコンティ監督は喪失感とともに “近代化の波による価値観と生き方の変化” を描いたのでしょう。 

 

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