| 原題 | Roma |
|---|---|
| 製作年 | 2018 |
| 製作国 | メキシコ・アメリカ |
| 監督 | アルフォンソ・キュアロン |
| 脚本 | アルフォンソ・キュアロン |
| 撮影 | アルフォンソ・キュアロン |
| 出演 | ヤリッツァ・アパリシオ、 マリーナ・デ・タビラ、 フェルナンド・グレディアガ、 ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ、 マルコ・グラフ、 ダニエラ・デメサ |
配給はNetflixで、配信中心でありながらヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、アカデミー賞でも監督賞・撮影賞・外国語映画賞を受賞しました。
同年のカンヌ映画祭は非劇場公開映画という扱いで排除されましたが、他の映画賞が「配信映画であっても芸術的価値はこれまでの映画と同等である」と正式に認めたことにより、映画史においても画期的な作品となりました。
この映画はアルフォンソ・キュアロン監督の自伝です。
だから人間や社会を深堀する映画ではなく、過去の記憶を辿り、あの時代にあの場所で生きた人々を懐かしむとともに哀悼する映画なのです。
記憶だから、完璧な構図と完璧なショットで美しく表現されています。
カメラは固定で写すか、横移動しかしません。
あくまでも記憶の中の世界なので複雑さは必要なく、思い出だけがシンプルに描かれます。
それでもあそこまで芸術性を高めれば、単なる生活の記憶も立派な映画になることを証明しました。
しかし、主人公は子供ではなく家政婦のクレオです。
白人家庭が先住民族を家政婦として雇うことは自然だったのでしょう。一緒に暮らし自分たちの世話をしてくれているのに、食事も別で狭い部屋に住まわせられている家政婦を見ても、子供たちは何の違和感もなく受け入れています。そこにはれっきとした階級社会が存在しますが、階級に関わらず女性は虐げられた立場です。
後から思い起こしてみれば、クレオはキュアロン監督にとって “階級社会” と “女性” の象徴だったのかもしれません。
ラスト、”日常は大いに揺らいでも、また変わらない日々が続いていく” というシーンで幕を閉じます。
だから家族の一員となったかに見えたクレオは、当たり前のように屋上の家政婦部屋に戻っていくのです。
(画像下に続く)

子供たちの動きが非常に複雑なのにやけにリアルで、どうやって演技させたのかと驚いてしまいますが、キュアロン監督は「子供にはかなり自由に演技をさせた」と説明しています。
だから自然だったのかと納得もするけど、全員の動きをどうやって違和感なくワンカットに収めたのか逆に不思議になります。
そしてあの家は実はセットだそうです。ロングショット&空間移動を実現するためにすべての部屋が繋がった映画専用の家ですが、板張りではなく本当に作ったんだそうです。
さすが、『ゼロ・グラビティ』で地上のセットで無重力の宇宙を再現してしまった監督ですね。