ライアンの娘

原題 Ryan’s Daughter
製作年 1970
製作国 イギリス
監督 デヴィッド・リーン
脚本 ロバート・ボルト
音楽 モーリス・ジャール
出演 ロバート・ミッチャム、 サラ・マイルズ、 トレヴァー・ハワード、 レオ・マッカーン、 ジョン・ミルズ

1962年の『アラビアのロレンス』、1965年の『ドクトル・ジバゴ』に続き、デヴィッド・リーン監督&ロバート・ボルト脚本の作品。
壮大な砂漠、壮大な雪景色を描いた後は、壮大な海岸線が舞台。
ただし、前2作との違いは “アイルランドの寒村” という閉鎖的な土地のみで展開すること。
デヴィッド・リーンらしい壮大な風景の中で、物語は小じんまりと進んでいく。

この物語を高尚に解釈するとこうなるだろう。

 ・不自由な人々は常に自由な人を迫害する
 ・善と悪は存在しないか表裏一体
 ・若さゆえの恋に後悔はつきもの
 ・本能の赴くままの愛もあれば、無償の愛もある
 ・神はどこかで見ている

ロージーは自由だ。
神父が諫めても「懺悔室に行く必要はない」と開き直る。
「誰にも迷惑をかけてないなら間違ってはいない(ただし旦那を裏切っているが)」
という、まるで新自由主義を都合よく解釈する現代の若者のような発想だ。
宗教は最後まで彼女を見放さないが、残念ながら効果は無い。
そんな “自由な人” を、学もなくマイケルをいじめてばかりの不自由な村人たちは気に入らない。
これはどちらが “善” でどちらが “悪” ではなく、その境界は曖昧に描かれている。

だから分かりづらく、主人公に感情移入もできない。
本当はチャールズもロージーもランドルフも、心の奥底にもっと複雑な感情が渦巻いているはずだが、それがセリフにまったく出てこない。
特にランドルフ。彼は既婚者であることをロージーに伝えたのだろうか?
優しく美しい言葉をかけたり、または、これは危険な恋だと注意したのだろうか?
「次はいつ会える?」ばかり気にする男にロクな男はいないだろう。
という感じで人物の深堀りがまったくできていないので、観客はどう解釈して良いのか混乱し、最後は見たものを額面通りに受け取るしかない。
つまり、壮大な風景の下で繰り広げられる “お子様男女” の残念な不倫劇を。

しかしこれはデヴィッド・リーンの映画だ。
ロバート・ボルトの脚本だ。
何かを見逃したに違いない、世界中の評論家と観客が。

最後に。
あの嵐の海岸シーンで、どうやって死者なく撮影したのだろうかと不思議になる。
砂漠、雪原で見せつけたデヴィッド・リーンの狂気を、ここでも垣間見た気がします。

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