| 原題 | The Banshees of Inisherin |
|---|---|
| 製作年 | 2022 |
| 製作国 | アイルランド・イギリス・アメリカ |
| 監督 | マーティン・マクドナー |
| 脚本 | マーティン・マクドナー |
| 音楽 | カーター・バーウェル |
| 出演 | コリン・ファレル、 ブレンダン・グリーソン、 ケリー・コンドン、 バリー・コーガン |
オープニングからしばらく何も起きないのに、恐ろしく不穏な空気に満ちている。
サスペンスにしようとする意図はまったく無いのに、完全なるサスペンスに自然と変貌する映画は本当に素晴らしい。
アイルランドを舞台に喧嘩を描いた映画であれば、恐らくは「北アイルランド問題」を例えています。
これはきっとパードリックがアイルランドで、コルムが北アイルランドなんですね。
途中でコルムが “なぜ避けだしたか” 理由を話すが、パードリックは自覚が無い。
だが、2人は元から合わないと酒場の連中は分かっている。
でもパードリックは理解できないから、自分の望みを叶えるために、他の人なら避ける行動を取り続ける。
初めは無自覚で、途中から意地悪になり、最後は暴力的に。
島民がパードリックに対して “あいつは優しい奴だ(=可哀そうな奴)” と接するように、パードリックはドミニクを可哀そうな奴だと思い優しく接していたが、そのドミニクすらパードリックを見放すようになる。
そして「もう相手はしない」と拒絶することが平和的解決だと考えていたコルムも、それが更なる問題を引き起こしていることに気付かず、和平を持ち出した時は完全に関係が崩れた後。
それを遠くで見守る死神の女性(Banshee)がいる。 ※ 原題は「精霊」ではなく「死を予兆する妖精」
言っとくけど、モーツァルトは18世紀の作曲家よ
コルムは「音楽を後世に残したいからお前との時間はもう無い」と言いつつ、モーツァルトを17世紀の音楽家だと勘違いしている。
しかも、作曲した曲は「The Banshees of Inisherin(イニシェリン島の “死の妖精”)」という不穏な曲名。
関係を終わらせるために、もっともらしい理由を付けつつ、彼も自分を勘違いしているのです。
次は4本切り落とすぞ。
冗談よね?楽器が弾けなくなる。
映画に緊張を与えるキーポイントは「自分の指を切り落とす」と宣言するところ。
何が起きるか先に観客に知らせることで、観客はパードリックの行動をヒヤヒヤしながら見続けなくてはならない。
そして “指を切ったら楽器が弾けない” のに切り落としてしまう。
自己防衛が激しすぎて自らを傷つけ、本来の目的を果たせなくしてしまったのです。
しかも、切り落とした指がきっかけで、うっかり相手の大事なロバを死なせてしまった。(このロバは家の中で様々なものをすぐ口にする癖があった…)
大事になるとは予想だにしなかった初めの行動が雪だるま式に膨らみ、やがて偶発的な事故を起こし、最後のスイッチを押してしまう。
私ここを出ていくわ
兄の喧嘩をとりなしてくれていた唯一まともな妹は、愛想を尽かして島を出てしまう。
もう誰も助けてはくれず、喧嘩はエスカレートするばかり。
妹はどこの国の例えだろう。イギリスでしょうか?
神がロバの生死を気にすると?
司祭の所に懺悔に行くが、司祭は「ロバの死なんて神は気にも留めない」と言い放ちます。
コルムの悔恨そしてパードリックの怒りの原因は、宗教的観点から見ると “他愛もないこと” のようです。
それもどうかと思いますが、それよりも司祭はコルムに「絶望感は無いのか?」と問います。
絶望感が戻ってきたのに何もしない?
ああ 何もしない。
でも、コルムは「絶望感はあるが何もしない」と言い切って懺悔室を出ていきます。
最初は平和を求めただけの行為が、徐々に破壊へと繋がり、やがて絶望感に苛まれる。
だが、何もしない。
一方が “相容れない” と考えた時点から、人間には断絶が生まれます。
そして相手の気持ちを考えない “優しさ” だけでは、問題は解決されません。
2人に代表される私たち人間には、一体何が足りないのでしょうか?
何が備わっていれば、争いごとは起きないのでしょうか?
