ブルータリスト

原題 The Brutalist
製作年 2024
製作国 アメリカ・イギリス・ハンガリー
監督 ブラディ・コーベット
脚本 ブラディ・コーベット、 モナ・ファストヴォールド
音楽 ダニエル・ブルームバーグ
出演 エイドリアン・ブロディ、 ガイ・ピアース、 フェリシティ・ジョーンズ、 ジョー・アルウィン、 ラフィー・キャシディ、 ステイシー・マーティン、 アレッサンドロ・ニヴォラ、 イザック・ド・バンコレ

これはとにかく野心的で、反逆的で、とてつもなく骨太な映画だ。
まず215分という長さが普通の人を遠ざけ、観ようと思う人に「本当に観る覚悟はあるか?」と問いかける。
恐らく120分の映画にもできるが、敢えてやらない。
様々なカットや意味深げなシーンを織り交ぜ、素晴らしい編集で再構築し、繋ぎ直し、監督が納得いく形に仕上げようとしたら、優れたブルータリズム建築のように多大な労力と時間が掛かる代わりに、出来上がった作品は一見すると質実剛健に見えるが、細部まで美しい。
映画が氾濫するこの時代において、個性的で通常のジャンルに属さない珍しい1本かもしれない。
とにかく野心的で、恐るべき才能とセンスを感じます。

 

偽りの自由こそ、何よりも人を隷属させる。

妻から主人公への手紙に書かれたこの文章が、この映画全体を表している。
ユダヤ人迫害を逃れてアメリカに渡る主人公のラースロー。(『戦場のピアニスト』でユダヤ人を演じたエイドリアン・ブロディをそのまま連れてきた?)
しかし、船から最初に目にした自由の女神は逆さまで移ろい、静止することは無い。
着いたのは自由の国なのか? 偽りの自由なのか?

最初に頼った従兄のアティラ。
ユダヤ教からカトリックに改宗し、名前もアメリカ風に変え、客好みの店名を付け、”美しくない” 家具を売って儲けている。
資本主義で生き抜くために、宗教や名前を変えるのも自由。
でもそれが本当に望んだ自由なのか?
ラースローは “美しくない” と一蹴し、やがてあらぬ疑いを掛けられ仲違いする。
表向きは援助しながら、押しつけがましく、結局は “招かれざる客” として扱われる。

富豪のハリソンも同じ。
芸術を理解せず、資本家の思考と論理を振りかざし、表向きは援助しながら、押しつけがましく、傲慢だ。
アティラもハリソンも「アメリカ」の象徴なのでしょう。

一方でラースローとは何者なのか?
ここがこの映画の一癖あるところで、戦争と迫害によって祖国と人生を奪われた被害者だが、アメリカに渡っても同化せず、ドラッグに溺れながら自らの道を模索し続ける。
もしかしたら、模索すらせず流されているだけなのかもしれない。
それでも建築家としての矜持だけは保ち続ける。
ハリソンに「なぜ建築をやる?」と聞かれた時の答えに、ラースローの哲学がすべて詰まっている。

 

何事も、それ自体を説明できない。
立方体の説明に、その構造以上の言葉があるか?
戦争が起きた。
それでも知る限りにおいて私のプロジェクトの多くが生き残った。
今も都市の中に存在している。
欧州での災禍の記憶が人々を辱めなくなった時、
建築物が政治的刺激の代わりとなって欲しい。

人類の歴史において頻繁に起きる劇的変化を促すように、
怒りと恐怖に満ちた言説がいつかまた世を襲う。
愚かしい思想の川が再び主流となるかもしれない。
でも私の建築物は、ドナウ川の侵食に耐えるよう設計されている。

戦争、紛争、宗教、思想、国家、権威、見せかけの自由。
それら様々な外的要因が及ぼす影響を跳ね返し、存在のみがすべてを表し、何かに流されることが無い建築。
ラースローにとって、ハリソンが象徴するアメリカに建てるべき建築物こそブルータリズム建築なのだ。

前半は妻エルジェーベトとの手紙がナレーションで流れ、後半では家族との物語が展開すると期待する。
でも、この映画は違う。
それが「野心的で、反逆的」と評した理由の一つ。
感動すべき再会シーンで、意表をついて不穏な空気が流れる。
その後の妻との関係もギクシャクしっぱなし。
妻役はフェリシティ・ジョーンズで良かったのか?という疑問もありつつ、ここまでくると、この映画の尖り具合に苦笑いするしかない。
姪のジョーフィアの堅物ぶりも意味が分からない。
他の映画のように “迫害の被害者” を弱々しく善良な人々として描く気はなく、同じ家族内・宗教内・民族内ですら価値観で衝突する様を描く。

 

実に情けないよ、君たち自身の振る舞いは。
迫害を恨むのに、なぜ標的になりやすいことをする?
まるで宿無しのように施しに頼って生きるだけ。
社会に寄生してる。
そんなザマでどうやって異なる結果を望める?

だからハリソンにこう言われてしまう。
しかし国土を持たないすべての民族は、各地で強く生きていくしかない。
そもそもアメリカも原住民を迫害して作った移民の国なのに、他の国と同様、移民に対する目は厳しい。

ラスト、「お前は暴虐だ」と言われたハリソンは退場し、ラースローはブルータリズム建築が世界に認めらるが、既に生気を失っている。
だが、”愚かしい思想の川が主流になっても”、その浸食に耐えて建築物だけは存在し続ける。
現在の我々にとって、”ブルータリズム建築に相当する拠り所” とは何なのか?
そんなことを問いかけてくる映画でした。

2024年のアカデミー作品賞・監督賞は『ANORA アノーラ』が獲りましたが、個人的には対抗馬の『教皇選挙』でもなく『ブルータリスト』の一択でした。
一般的には受け入れられないとしても、映画界や映画関係者にはもっと評価して欲しかっただけに、少し攻めすぎた内容が仇となったのでしょうか…

 

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