| 原題 | La habitacion de al lado/The Room Next Door |
|---|---|
| 製作年 | 2024 |
| 製作国 | スペイン |
| 監督 | ペドロ・アルモドバル |
| 脚本 | ペドロ・アルモドバル |
| 音楽 | アルベルト・イグレシアス |
| 出演 | ティルダ・スウィントン、 ジュリアン・ムーア、 ジョン・タトゥーロ、 アレッサンドロ・ニヴォラ |
ペドロ・アルモドバル監督が初めて英語で製作した作品。
情熱と色彩と混沌のスペインを離れたせいか、これまでよりだいぶ落ち着いた作風になっている。
いつものスリラー風の音響・演出ですが、実際のところスリラー要素は皆無です。
また、いつものコメディ要素も影を潜めています。(唯一あるとしたら「訴訟リスクがあるからハグできない」とジムのトレーナーに言われるところくらいでしょうか)
これはアルモドバル監督が多く描いてきた女性や愛や家族の物語ではなく、明らかに “死” を意識した映画です。
そういう意味では、健康を害して生き甲斐を失った主人公を描いた『ペイン・アンド・グローリー』の延長線上にあるのかもしれません。
隠された意味や問題提起なども無く、観た人それぞれで自由に解釈して良い映画なのでしょう。
雪が降っている
寂しい教会の墓地や すべての宇宙におぼろげに降り続く かすかに降る雪
やがて来る最期のように すべての生者と死者の上に
マーサはステージ3の癌で、小康状態が続いていましたが最近は治療の甲斐なく悪化が進み、生きる気力を失っています。
イングリッドはマーサの旧友ですが、数年間 連絡を取っていなかったので、親友とまではいかないようです。
それでもマーサは最終的にイングリッドを頼ります。
なぜでしょうか?
人は “孤独の中で死ぬことを特に恐れる生き物” だからでしょうか。
だから自分が死ぬ時、身内でも親友でもない人でいいので、誰か知っている人が ”隣の部屋” にいて欲しい。
一緒だった過去があり、共通の会話ができ、尊重し合える人間性があれば、友情の深さは重要ではない。
互いに向かい合う2人の人間であることが重要なのだと。
もしくは、”死” の隣には “生” があって欲しいという監督ならではの願いを反映したのかもしれない。
恐らくはそこを中心に描きたかったはずですが、身内が不在または疎遠という理由を戦争に求め、安楽死の訴訟を防ぐための予防線を張り、宗教的圧力も持ち出して権力を振るう警察から逃れるサブストーリーを入れざるを得なかった苦労が垣間見られます。
社会的テーマを含めたかのように見えますが、ストーリー的にそこはあまり重要でない気がします。
雪が降っている
あなたの娘と私の上に
生者と死者の上に降り続く
最後に同じティルダ・スウィントン演じる娘が登場することで、アルモドバル監督が常に描いてきた “宿命のような親子関係” にも触れます。
そこで娘の誤解を解き、不在がちの母について慰めの言葉をかける。
ただ、とても短く簡潔だったので本当に必要だったか疑問で、ティルダ・スウィントンが2度出てきたこともあり「急遽付け足したのでは?」と思わせるエンディングでした。
これまでのアルモドバル作品であれば親子関係をもっと深く描き、死の前に娘と和解していた気がします。
