原題 | Vox Lux |
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製作年 | 2018 |
製作国 | アメリカ |
監督 | ブラディ・コーベット |
脚本 | ブラディ・コーベット、 モナ・ファストヴォルド |
音楽 | シーア、 スコット・ウォーカー |
出演 | ナタリー・ポートマン、 ラフィー・キャシディ、 ジュード・ロウ、 ステイシー・マーティン、 ジェニファー・イーリー |
評価の難しい傑作『ブルータリスト』を監督したブラディ・コーベットの第2作。
とにかく野心的で、反逆的で、とてつもなく骨太な映画『ブルータリスト』を観て俄然興味を持ち、どんな監督なのか確かめるために、デビュー作の『シークレット・オブ・モンスター』と一緒に観てみました。
デビュー作も『ブルータリスト』も非常に野心的で尖った映画でしたが、この作品も “観客の期待は気にしない”、”自分が撮りたいように撮る” という哲学が感じられ、そのパワーに圧倒されます。
そして、映画は『シークレット・オブ・モンスター』『ブルータリスト』と一緒で、チャプター形式で進みます。
”チャプター形式”
”史実のように演出する”
といった辺りはデビュー作から一貫している構成です。
あと、3作とも脚本は奥様のモナ・ファストヴォルドとの共作ですね。
映画はいきなり暴力的なシーンから始まる。
何も恐れないコーベット流の演出です。
そして、暴力的事件からスターが誕生するという、”道徳より話題性が大事” という人間の本質を突いてくる。
さすがコーベット監督、発想が過激です。
いつも同じ夢を見る。
トンネルに何人もの自分が転がり、猛スピードで通り過ぎる。
出口は見えない。
デビュー直後から既に心はボロボロだが、芸能界も音楽業界も14歳の少女を守ることでは知られていない。
唯一、彼女を守ってくれるのは姉だけだ。
そうやってダメになったミュージシャンなんて掃いて捨てるほどいるが、彼女は生き残る。
そしていきなり16年が経って演者がナタリー・ポートマンとなり、さっきまで主人公だった子がティーンエイジャーの娘役に成り代わる。
9割の観客が混乱したでしょう。
娘として見えている者は成長した自分の分身で幻覚なのかと思いましたが、本当の娘のようです。
観客を置き去りにすることを厭わないコーベット監督、さすがです。
普通の高校生だった子が16年でドラッグ中毒となり、家庭用アルコール洗剤を飲んで片目を失明し、人身事故を起こし、それでもミュージシャンを続けている。
でも、詳しい描写や説明が無くても普通の人ならすぐに理解できます。
「それが音楽業界だから」と。
ただ驚くのは、現代のポップスターなのに70~80年代?と思うようなサイケデリックな衣装とダンスでステージに立つ姿。
しかも製作総指揮も務めるナタリー・ポートマンが。
ラストは15分くらいライブ映像が続く。
架空のミュージシャンのライブは、架空の画家の架空の絵画を鑑賞するかのように不思議なものだ。
実在ではないので、何も感じないし評価できない。
その辺りも計算づくで、「目に焼き付けろ」と言わんばかりにコーベット監督は攻めに攻めまくる。
1にマネー、2にショー、3で準備、そして4で始めよう
何度か登場するこのセリフも意味不明です。
通常は3、2、1の順だから逆ですが、4も含めて意味が分からない。
この辺りもきっとコーベット監督の術中にはまっているのでしょう。
映画の中盤で「観る人に考え過ぎてほしくない。ただ、いい気分になってほしい」というセリフがあるが、この映画を観た感想はまったく逆だ。
決していい気分にはならない。
でも冒頭から目が離せず、惹き込まれ、考えてしまう。
コーベット監督の作品はどれも同じで、今後も目が離せません。
補足ですが、姉役のステイシー・マーティンは『シークレット・オブ・モンスター』の家庭教師、そして『ブルータリスト』では富豪の娘です。
主人公&娘役のラフィー・キャシディは、『ブルータリスト』でも主人公の娘役を演じています。