ドイツの映画監督。(Wim Wenders、ドイツ、1945年8月14日 – )
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経歴
デュッセルドルフで医者の息子として生まれ、冷戦下の西ドイツで育った。米国に憧れ、子供時代はアメリカンコミックスに夢中だった。ギムナジウム卒業後、大学では1963年から1964年まで医学を、1964年から1965年まで哲学を専攻したが、いずれも断念した。1966年10月に画家を志してパリへ引っ越した。しかし、高等映画学院 (IDHEC) の入試に失敗。その後、モンパルナスにあるJohnny Friedlaenderのスタジオで彫刻を学んだ。この頃、1日5本以上もの映画を観る生活を送っていた。旧作を上映する「シネマテーク・フランセーズ」の常連になり黒澤明監督作品など1千本以上の名作を鑑賞した。1967年、ユナイテッド・アーティスツのデュッセルドルフ・オフィスで働くためにドイツに帰国。同年秋にはミュンヘンテレビ・映画大学に入学。1970年まで『FilmKritik』誌や『南ドイツ新聞』、『Twen magazine』誌、『デア・シュピーゲル』誌で映画批評を執筆した。また、1967年からは映画監督としての活動を開始し、1969年までの3年間で8本の短編映画を製作した。
1970年に16ミリ・モノクロで撮った『都市の夏』で長編映画監督デビューを果たす。1972年、友人でもあるペーター・ハントケの同名小説を映画化した『ゴールキーパーの不安』で第32回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。以後もハントケはヴェンダースのいくつかの作品の脚本を手がけるようになる。アメリカからオランダへと旅する青年と少女を描いた『都会のアリス』(1974年)、戦後ドイツを表象した『まわり道』(1975年)、『さすらい』(1976年)の「ロードムービー三部作」を監督したことでフォルカー・シュレンドルフやヴェルナー・ヘルツォーク、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーらとともにニュー・ジャーマン・シネマの旗手として一躍注目されるようになった。
一気に10作品を初鑑賞🎬
これまで「エンド・オブ・バイオレンス」「ミリオンダラー・ホテル」しか観たことがなかったので、こんな作風だったんだという新鮮な驚き😲
”物語は必要ない。映画は人の間で作られる。”
この一言に彼の哲学が凝縮され、筋書きよりも登場人物たちが織り成す “様” を前面に押し出す。
一方で、裏には監督が映画に込める “想い” が綿密に組み込まれていて、その芸術的な二重構造がいつも素晴らしい!
ストーリーすら必要としない “感性” と “深慮” の見事な融合は、観る人を心地よく思索の旅へと誘(いざな)ってくれます🙂
https://x.com/cinematographjp/status/1842845286152208856
【監督作品】 ※ドキュメンタリー
・ 都市の夏(1970年)
・ ゴールキーパーの不安(1972年)
・ 緋文字(1973年)
・ 都会のアリス(1974年)
・ まわり道(1975年)
・ さすらい(1976年)
・ アメリカの友人(1977年)
・ ニックス・ムービー/水上の稲妻(1980年) ※
・ ハメット(1982年)
・ ことの次第(1982年)
・ パリ、テキサス(1984年)
・ Docu Drama (1984年) ※
・ 東京画(1985年) ※
・ ベルリン・天使の詩(1987年)
・ 都市とモードのビデオノート(1989年) ※
・ 夢の涯てまでも(1991年)
・ 時の翼にのって(1993年)
・ リスボン物語(1994年)
・ 愛のめぐりあい(1995年)
・ ベルリンのリュミエール(1995年)
・ エンド・オブ・バイオレンス(1997年)
・ ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(1999年) ※
・ ミリオンダラー・ホテル(2000年)
・ Viel passiert – Der BAP-Film (2002年) ※
・ U2: The Best of 1990-2000 (2002年) ※
・ ソウル・オブ・マン(2003年) ※
・ ランド・オブ・プレンティ(2004年)
・ アメリカ、家族のいる風景(2005年)
・ パレルモ・シューティング(2008年)
・ Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち(2011年) ※
・ セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター(2014年) ※
・ 誰のせいでもない(2015年)
・ アランフエスの麗しき日々(2016年)
・ 世界の涯ての鼓動(2017年)
・ Pope Francis: A Man of His Word (2018年)
・ PERFECT DAYS(2023年)
・ アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家 Anselm(2023)