| 原題 | Bad Genius |
|---|---|
| 製作年 | 2017 |
| 製作国 | タイ |
| 監督 | ナタウット・プーンピリヤ |
| 脚本 | ナタウット・プーンピリヤ、 タニーダ・ハンタウィーワッタナー、 ワスドーン・ピヤロンナ |
| 音楽 | フアランポン・リディム、 ウィチャヤー・ワタナサップ |
| 出演 | チュティモン・ジョンジャルーンスックジン、 チャーノン・サンティナトーンクン、 ティーラドン・スパパンピンヨー、 イッサヤー・ホースワン、 タネート・ワラークンヌクロ、 サリンラット・トーマット |
中国で実際に起きた集団カンニング事件をベースにタイで製作された娯楽作。公開後、自国のタイを含めてアジアで高く評価され、ハリウッドでのリメイクも決まりました。若者グループが主人公にも関わらず恋愛は少ししか描かれず、”社会格差と学力格差の非対称性” を中心に複数のジレンマを分かりやすく描き出す。テクニカルなカンニング手法を次々と編み出し、教師 vs 生徒という構図なのかと思いきや、集中力に欠けた教師は誰もカンニングを見抜けず、カンニング手法もかなりローテクでした。なぜならカンニング自体は一つのきっかけでしかなく、この映画で描かれるのは「金持ちの多くはズルいことをしている」のを前提として、この映画は “人の中にある善悪の天秤が揺らぐ姿” を描いているからです。
金持ちカップルは「金はあるのに学力が足りない」というジレンマを抱えています。金持ちの親の力を借りれば学力がなくても社会で楽に生きて行けそうですが、彼らは教育熱心な両親の期待に縛られ、重荷に感じているのです。まあボンボンとお嬢の重荷など貧乏人の重荷に比べれば羽のように軽くて吹けば飛んでいきそうですが、努力を知らないボンボンとお嬢にとって両親は絶対で、我が人生を楽に生きるために逆らうことはできません。一方、貧乏人のジレンマは、学力はあっても私学や留学のための学費がなく、奨学金を得るために競争で狭き門を潜り抜けなければなりません。つまり、学力はあるのに選択肢は非常に少なく厳しい生存競争に晒されているのです。そのような環境下において金持ちと貧乏人の間で金銭と成績のトレードオフが起きることは、人類が生き延びる知恵として物々交換を行っていた遥か先史時代と一緒で自然な行為かもしれません。やっていることは単純なトレードオフですが、実際は “社会ルール” と “道徳” という2つのストッパーがあり、行ってはいけないことになっています。しかし学長は平気で賄賂を受け取っているように、「”社会ルール” って何なのよ?」という誰でも感じる本音と建前が目の前に横たわっています。そうなると1つ目のストッパーは「実は建前でした」という理屈で蹴飛ばされ、2つ目のストッパーである “道徳” に委ねられるのです。
これで分かったように、この映画はカンニングで観客をドキドキさせているようで、実はリンとバンクの中で “善悪の天秤が揺らぐ姿” を描いているのです。そして誘われたバンクは地に落ち、誘ったリンは善を取り戻す。しかし時間を巻き戻すと、バンクは同級生からのカンニングの誘いをリンに押し付け、それをバラすことでリンからシンガポール行きの切符を奪い取りました。だから決して被害者ではなく、むしろ加害者だったのです。表向きはサスペンスですが実際は人間を描いた作品なので、リンを救済するエンディングは映画的には正解かもしれませんが、個人的には安易な終わり方だと思っています。むしろバンクではなく “ブラック・リン” として彼女に悪の道を突き進んで欲しかった。その方が心の闇がより深く描けるし、何より続編を作ることも出来るからです。映画の見過ぎか性格がひねくれているせいか、いつもそんなことばかり考えてしまいます。
