| 原題 | Being Maria |
|---|---|
| 製作年 | 2024 |
| 製作国 | フランス |
| 監督 | ジェシカ・パルー |
| 脚本 | ジェシカ・パルー、 ロレット・ポルマンス |
| 音楽 | バンジャマン・ビオレ |
| 出演 | アナマリア・ヴァルトロメイ、 セレスト・ブランケル、 ジュゼッペ・マッジョ、 イヴァン・アタル、 マリー・ジラン、 ジョナサン・クージニエ、 マット・ディロン |
芸術か猥褻かの議論を巻き起こしたベルナルド・ベルトルッチ監督の問題作『ラスト・タンゴ・イン・パリ』でマーロン・ブランドの相手役を務めた当時無名の女優マリア・シュナイダーを描いた伝記映画であり、ベルトルッチ監督に対する告発映画。原作はマリア・シュナイダーの従妹であるジャーナリストのヴァネッサ・シュナイダー。
映画の始まりでは、フランスの代表的俳優ダニエル・ジェランの私生児であるマリア・シュナイダーの家庭状況が描かれる。母には反対されるが父の職業が女優になるきっかけであり、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』に抜擢されたのもダニエル・ジェランとマーロン・ブランドが友人だったからのようです。そのような経緯がありつつ、オーディションもスクリーンテストも無しにいきなりベルトルッチ監督が抜擢したのはどこか釈然としませんが、初めはドミニク・サンダがキャスティングされていたものの妊娠のため降板したそうで、その代役だったようです。(映画には描かれていませんが)
役者は求めていない
あるのは映画と登場人物だけだ
そして『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の撮影が始まりますが、ここでの悪役はベルトルッチ監督です。マット・ディロン演じるマーロン・ブランドは雰囲気がそっくりで、圧倒的な存在感がありながら謎めいていて、堂々としているが哀愁も漂う複雑な印象を与えます。しかし程度は異なるものの、彼もまたベルトルッチ監督の被害者でした。後に「映画を作るために自分の感情をすり減らしたり、内面を踏みにじられるようなことは二度としない」と語っています。なので、女優への同意なしに性的描写を撮影しようとしたのはベルトルッチ監督であり、事前に伝えられてはいたもののマーロン・ブランドは従わされただけと見てとれます。ベルトルッチ監督は「演技ではなく本当の屈辱と反応を見たかった」と後年述べていますが、それは俳優と演技と女性に対する侮辱であり、プロの俳優であれば事前に同意した内容を演技と思わせずカメラの前で自然に振る舞うことはできるのです。映画では自然な反応をアドリブでカメラに収めるケースもありますが、それは決してあのようなシーンでありません。演技ではないと知った途端、作品は評価に値せず、映画でも芸術でもなく単に犯罪の証拠でしかありません。
ベルトルッチは役以上のものを求めた
私が屈辱を受けるのを楽しんでた
私ではなく “ジャンヌ” を見てた
でも あの涙は私のよ
公開後に議論が巻き起こりますが、既に名声を得ていたベルトルッチ監督とマーロン・ブランドはマリア・シュナイダーを擁護しませんでした。また、メディアも世間も彼女が挙げた声を疎んじ、耳を貸そうとしませんでした。そこに第二の悪があり、彼女は搾取されてこの映画のスケープゴートとなり、人生と心に大きな傷を残したのです。そんな彼女の姿に胸が痛くなりました。
主演のアナマリア・ヴァルトロメイは、ノーベル賞作家アニー・エルノーの自伝を映画化した『あのこと』に続いて女性が追わされる苦難を表現しており、物おじしない強さと存在感のある素晴らしい女優ですね。なのに社会性のあるこれら2作の後で、コミカル風刺劇の『ミッキー17』にチョイ役で出演したのはなぜだったのでしょうか?
