| 原題 | Bram Stoker’s Dracula |
|---|---|
| 製作年 | 1992 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | フランシス・フォード・コッポラ |
| 脚本 | ジェイムズ・V・ハート |
| 音楽 | ヴォイチェフ・キラール |
| 出演 | ゲイリー・オールドマン、 ウィノナ・ライダー、 アンソニー・ホプキンス、 キアヌ・リーブス、 リチャード・E・グラント、 ケイリー・エルウィス、 ビリー・キャンベル、 サディ・フロスト、 モニカ・ベルッチ |
1978年のヴェルナー・ヘルツォーク版『ノスフェラトゥ』にブラム・ストーカーの原作「吸血鬼ドラキュラ」要素を入れつつ、”男たちのドラキュラ退治” ではなくミナが救済するという解釈を加えた新たな吸血鬼ドラキュラ。
あの破綻した怪作『メガロポリス』を彷彿とさせるゴージャスで仰々しい美術と演出で、アカデミー賞でも衣装デザイン(石岡瑛子)、音響効果編集、メイクアップの3つを受賞しました。ゴージャスさにばかり目が行き収束しなかった『メガロポリス』に対し、この映画はゴージャスさがゴシックホラーというジャンルと見事にマッチし、映画世界を強固に形作っています。そもそもコッポラ監督は『ゴッドファーザー』にしろ、『地獄の黙示録』にしろ、リアリズムに根差すのではなく壮大なオペラ的に見せようとする監督なのでしょう。それが、この作品では上手くはまっていたと思います。
トッド・ブラウニング版『魔人ドラキュラ』のベラ・ルゴシ、ヘルツォーク版『ノスフェラトゥ』のクラウス・キンスキーなど、ドラキュラ映画と言えば怪優が光りますが、今回のドラキュラ伯爵はゲイリー・オールドマンで、顔芸も演技もとても素晴らしく魅力的です。演出の影響もありますが、そのせいで他の出演者は大きく見劣りしてしまいます。特にハーカー役のキアヌ・リーブスはイギリス上流階級の言い回しやアクセントに苦闘し、あまりにセリフが不自然なのが英語圏の人でなくても丸分かりです。また、エリザベータ(ミナ)役のウィノナ・ライダーはヘルツォーク版のイザベル・アジャーニを意識したのだと思いますが、純潔の象徴でしかなく、やはり演技は平坦なのです。むしろ、売れる前のモニカ・ベルッチが魅せる妖艶な美貌と存在感(とボディ)の方が観るべき価値があります。
ストーリーは原作に対し、「エリザベータの転生」「ドラキュラ伯爵の愛による救済」という解釈を加えて改変しますが、これは良いストーリーだったと思います。単なるゴシックホラーではなく、愛と性の解放を含めてバロック調から新古典主義の美術形式で描く新しい表現になりました。
コッポラ監督としては、70年代の絶頂期の後、80年代は低迷しており、この映画で芸術的に大きな賭けをしながら商業的に成功して一時的に復活を遂げます。そういう意味では珍しいコッポラ作品と言えるかもしれません。70年代以前の作家性は薄れ、この映画も “雇われ監督” 的な位置づけでしたが、それでも “コッポラ色” を前面に出して、かつアカデミー賞も受賞するなど高い芸術的評価を受けたという事実からも、これが最後の大作だったと言えるでしょう。なぜ上手くいったかというと、厳しい予算制限だったためにCGではなく古典的な演出とし、その分美術と衣装にお金をかけたことがコッポラ監督の暴走を止めたんだと思います。
だから『ドラキュラ』の再現を狙った32年後の『メガロポリス』は、自費を投じて好きに作ったがために暴走し、ものの見事に破綻したのです。
