KNEECAP ニーキャップ

原題 Kneecap
製作年 2024
製作国 イギリス・アイルランド
監督 リッチ・ペピアット
脚本 リッチ・ペピアット
音楽 マイケル・“マイキー・J”・アサンテ
出演 モウグリ・バップ、 モ・カラ、 DJプロヴィ、 ジェシカ・レイノルズ、 マイケル・ファスベンダー、 シモーヌ・カービー、 ジョシー・ウォーカー

物語は言葉で作られ
国は物語で作られる

世界には約7000の言語が存在しますが、そのうち2500は消滅の危機に瀕しています。それらを「あいうえお順」で並べると、アイルランド語は “消滅危機リスト” の先頭に来る言語です。そういえばこの映画とは真反対の映画ですが、最近観た『コット、はじまりの夏』でも映画内ではアイルランド語が使用されていました。敢えて英語ではなくアイルランド語を使用するのも、映画を通して言語を残そうとする意図的な行為なのでしょう。

主演の3人は俳優のように堂々と演技していますが、Kneecapの実際のメンバーです。Kneecapはアイルランド北部のイギリス領「北アイルランド」で2018年に結成しました。当時はアイルランド語の法的権利を巡ってシン・フェイン党と民主統一党が激しく対立しており、数年に渡り政府が機能停止に陥るほどでした。2022年にようやく法制化され、アイルランド語は公的機関での使用が正式に認められ、利用者が求めれば役所や警察でアイルランド語のみを使用することが許されます。これを読んで分かったと思いますが、映画の冒頭でリーアムが警察での尋問時に英語を拒否して拘束されるシーンがありますが、あれは2018年だったからです。2022年以降は警察でもあのようなことは法的にできなくなりました。というように、この映画は “言語の権利” という政治的目標と、“アイデンティティとしての言語” というポップカルチャーの対立をテンポよく見事に描いており、その象徴が実在のヒップホップトリオKneecapだったというわけです。

話される言葉は弾丸だ
でも撃ち尽くしたはず
比喩的な弾丸を撃つ必要はない

アイルランドとの統合を目指した共和主義を掲げるシン・フェイン党は、学校教育でアイルランド語を学ばせ、公用語としての地位も法的に一段上げようとしますが、学生たちは真面目に学ぼうとしません。ドラッグなどのカウンターカルチャーを前面に出し、過激なアイルランド語でラップを刻むKneecapはアイルランド語を使用しているにもかかわらず、アイルランド語の法的権利を向上させようとする人々にとって “目の上のたんこぶ” を超えて “目の敵” にされます。しかし、学生たちはアイルランドの伝統歌を嫌々歌わされる背後で、こっそりイヤホンでKneecapを聞いているのです。これは大いなる矛盾でしょうか? そうではなく、これは過去にも世界中で何度も目にした姿で、これこそが音楽の力なのです。エルヴィスもビートルズもマイケル・ジャクソンも “自称「良識ある大人」” たちから白い目で見られ、最初は正式なカルチャーとして認められなかったものの、大衆はこぞって熱狂しました。”自称「良識ある大人」” たちは、彼らの才能や彼らが生み出す音楽性を理解できず、「理解できないものは迫害する」という人類の共通公式に当てはめて扱います。しかし、良識ある大人が迫害しても、大衆(特に若者)が熱狂するのに特に理由は必要ありません。自然と受け入れられるものは、心を掴む何かがあるのです。例え歌詞がドラッグまみれで過激だったとしても。

リーアムはカトリック系で、北アイルランドはアイルランドと統合されるべきと考える共和主義ですが、彼女のジョージアはプロテスタント系で、北アイルランドはイギリス連合であるべきと考える英国王室主義です。ベッドの中で愛し合いながら、北アイルランドを “The North of Ireland” と呼ぶか “Northern Ireland” と呼ぶかで口論します。(正式にはイギリス連邦なので後者) これは北アイルランドの現状そのもので、双方の主義主張に反発はするものの、関係は続いていくのです。

 

紅茶はカップで飲む?
それとも顔に掛ける?

脇役のキャラも秀逸で、リーアムの母親とジョージアの叔母(警察)の攻防が面白い。とにかく映像とセリフが面白く、政治映画と音楽映画の見事なミックスでした。

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