| 原題 | The Hyperboreans |
|---|---|
| 製作年 | 2024 |
| 製作国 | チリ |
| 監督 | クリストバル・レオン、 ホアキン・コシーニャ |
| 脚本 | クリストバル・レオン、 ホアキン・コシーニャ、 アレハンドラ・モファット |
| 音楽 | バロ・アギラール |
| 出演 | アントーニア・ギーセン、 フランシスコ・ビセラル・リベラ |
母国チリの暗い歴史をモチーフにした『オオカミの家』で世界的に注目を集めたクリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャ監督の第2作。
今回もチリに蔓延ったナチス思想と極右思想の暗い歴史を振り返り、未来に警鐘を与える内容ですが、先鋭的でヘンテコな芸術家が作っているので相当に難解です。
以下、少し紐解いてみると…
<精神科医アントは何者か?>
アントーニア・ギーセンという恐ろしく美人な女優さんが演じていますが、彼女は女優 兼 臨床心理士であり、現在はチリを離れてドイツとスペインを拠点に活動しています。ですので今回の役は、実際の名前と職業でそのまま出演しているのです。映画の中で彼女はドイツとチリのハーフとされていますが、これは「コロニア・ディグニダ」に象徴されるように、ナチスの残党がチリに根付いてピノチェト政権下で大きく活動していた歴史を表しています。つまりアントは、”ナチ思想とピノチェト政権下の極右思想に影響を受けた国民” の象徴なのです。
<患者は何者か?>
幻聴が聞こえると言っており、その内容はチリに実在した人物ミゲル・セラーノ(外交官、詩人、ヒトラー信奉者でオカルト的ネオナチ思想家、ファシストとして知られる人物)の言葉と判明します。チリ国内で権力を持っていたわけではありませんが、世界中のネオナチ支持者と親交を深め、今なおその世界ではカルト的な人気を持っています。ですのでこの患者は、ミゲル・セラーノなどのネオナチ思想に影響を受けた国民を象徴しています。
<レオン&コシーニャとは何者か?>
説明するまでもなくこの映画の監督であり、映画内ではアントに映画を作らせる “操り人形の黒幕” を演じています。
<映画製作の意味は?>
アントは患者の声を聴きながら、ミゲル・セラーノの半生を追いかけます。追いかけながら、実は徐々に彼の思想に入り込んでしまうのです。
<アントの両親の意味は?>
突然、病に伏したアントの両親が登場します。これは恐らくアントの出自がドイツとチリのハーフ(=ナチスの影響を受けている)ということを説明するためでしょう。
<フィルムが盗まれた意味は?>
フィルムは “チリの黒歴史” の象徴なのでしょう。今となっては「ナチズムやファシズムのような悪の歴史の記録は失われてしまった」ということなんだと思います。そこで突然ハイメ・グスマンが登場し、「記憶から再作成せよ」とアントに命じます。つまり公式な記録は失われているため、人々の記憶から再生するしかない現状を表しています。これはチリ特有の問題ではなく、世界全体で見ても “本当の歴史” は完全な形で残すことはできず、「常に歴史は形を変えてしまう」と言いたいのかもしれません。
<ハイメ・グスマンとは?>
ピノチェト政権下で軍事独裁政権に協力した極右思想の憲法学者。社会保障を軽視した過度な新自由主義と、軍の介入を許容するなど民主的正当性が欠如した憲法を制定した。グスマンがアントに「フィルムを探せ」と命令したことに意味は無く、軍事独裁を許した黒幕を登場させて「極右政権が国民の象徴であるアントの主体性を奪い、強制的に動かす」ことを表現したかった模様。
<フィルム探索の旅の意味は?>
ここからは良く分かりませんが、映画製作の話に政治・神話・妄想の世界が入り交じり、アントは悪夢のような渦に巻き込まれていきます。個人的に解釈すると、「現在の文化や思想は様々な悪の歴史の影響を知らず知らずのうちに受けている」ということでしょうか。そしてアントはなぜかレオン&コシーニャに捕まり、分身を作られてしまいます。
<アントの分身の意味は?>
アントは国民の象徴です。これまでのアントの行動から、国民は「歴史を再確認しようとしている一方で、思想に浸食されている」ことが読み取れます。これは2種類の国民を意味しており、「思考が統制下に置かれたままの国民(=分身のアント)もいれば、正気を失わずに歴史を見直そうとする国民(=オリジナルのアント)もいる」と理解しました。
<ハイパーボリア人とは?>
結局、ハイパーボリア人とは何だったのでしょうか? 元々は神話に出てくる人種ですが、ミゲル・セラーノの解釈では南極に逃れたヒトラーの末裔、つまりこの映画では「生き残ったオカルト思想」の象徴だと思われます。一般的には “荒唐無稽な陰謀論” と思われがちですが、チリではそれが “現実の政治と結びついた危険思想” だったのです。極端な妄想的思考の一端が政治と結びつき、「コロニア・ディグニダ」のような存在を生んだ現実があるのです。
といったような解釈ができますが、本当のところは監督たちも明瞭に解説しているわけではないので良く分かりません。
とにかく独創的な作品作りが目を引くレオン&コシーニャ監督ですが、このまま芸術&社会思考の道を突き進むのでしょうか。それともどこかで路線変更するのか、気になるところです。
