| 原題 | The Outrun |
|---|---|
| 製作年 | 2024 |
| 製作国 | イギリス・ドイツ |
| 監督 | ノラ・フィングシャイト |
| 脚本 | ノラ・フィングシャイト、 エイミー・リプトロット |
| 音楽 | ジョン・ギュルトラー、 ヤン・ミゼレ |
| 出演 |
シアーシャ・ローナン、 パーパ・エッシードゥ、 ナビル・エルーアハビ、 イズカ・ホイル、 ローレン・ライル、 サスキア・リーヴス、 スティーヴン・ディレイン |
ロナは酒に酔い過ぎましたが、フィングシャイト監督は恐らく自分の映画に酔い過ぎたのでしょう。 アルコール依存症である主人公の内面はウズラクイナのように姿を見せず、大胆な編集に酔いしれた監督は “しらふ” の観客とは別世界にいるようです。モンタージュのように切り取られたその編集は、本当にストーリーやテーマを反映しているのでしょうか? ロナの心理を表そうと一生懸命イジり回し、逆にロナやアルコール依存症の本質を隠してしまったように思えます。また、事あるごとに自然や伝説と結びつけるナレーションが出てきますが、どれも “こじつけ” のようで納得できる内容に乏しく、自分の脚本に酔いしれているような気がしてなりません。
だからモンタージュのような編集が無くなった後半、物語はようやく自分の足で歩き始め、主人公の内面が見えてくるのです。ドラッグ依存症を描いたダーレン・アロノフスキー監督の『レクイエム・フォー・ドリーム』を目指したのかもしれませんが、アルコール依存症はドラッグのように意識や記憶が激しく錯綜するわけではないので、フィングシャイト監督は「編集に8ヶ月もかけた」と誇らしげに語っていますが、ただ「お洒落に見せたかった」だけではないでしょうか。
双極性障害の父と宗教依存の母が出てきますが、これはアルコール依存症の遠因ということでしょうか。それは少し短絡的な気がします。であれば、あの描き方は何だったのか? この映画を観てアルコール依存症に悩む主人公の心理を理解できたでしょうか。私が最も感銘を受けたのは、
「しらふの時間が辛いよね」
「10年以上断酒しているが楽にはならない」
という2人のオジさんがボソッと呟いたセリフでした。きっとアルコール依存症の人は現実が退屈だったり常に不安なのでしょう。だからアルコールを断ちたいが、断っても辛いのです。ロナがアルコール依存症になったのは両親のせいではなく、両親の元を離れても日常生活が辛いか不安だったからです。「なぜ辛いのか?」「なぜ不安なのか?」は人それぞれですが、映画でははっきりと描かれないか、または両親の影響としています。しかし映画の冒頭から両親を拒絶しておらず受け入れて生活しているので、両親の影響ではないでしょう。
ラストでロナは世界の小さな出来事に意味を見出します。「自分の日常生活に意味がある」と思えるかどうかが、辛さや不安を遠ざける一つの方法なのかもしれません。
なお、原題の「Outrun」は直訳すると「逃走」や「逃避」のような意味ですが、原作者によると実家の農場の外れの荒れた牧草地のことを、その土地では「Outrun」と呼んでいたそうです。なので自分のルーツの土地である「荒野」と「逃避」を掛けているのかもしれませんね。
