オー・パン・クぺ

原題 Au pan coupé
製作年 1967
製作国 フランス
監督 ギィ・ジル
脚本 ギィ・ジル
撮影 ジャン=マルク・リペール、 ウィリー・クラント
出演 マーシャ・メリル、 パトリック・ジョアネ、 バーナード・ヴァーリー、 フレデリック・ディティス、 リリ・ボンタン

生前に適正な評価を受けられなかったヌーヴェルヴァーグの異端児ギィ・ジル監督が、デビュー作『海辺の恋』のように愛と不在を記憶の断片によって描く。
『海辺の恋』が現在を起点に “待ち焦がれる恋” を撮った映画だとすれば、『オー・パン・クぺ』は過去を起点に “もう失われてしまった恋” を撮った映画です。
『海辺の恋』は時間軸とは関係なく感情の起伏をカラー/モノクロで表現しましたが、『オー・パン・クぺ』は過去と現在をカラー/モノクロで表現しています。
つまり、『オー・パン・クぺ』では鮮やかだった経験はすべて過去の出来事なのです。

主人公の青年ジャンは、生まれてから死ぬまでずっと社会的な漂流者でした。身寄りもなく、学歴もなく、仕事にも身が入らず、音楽の世界にいても従属感は得られず、愛の力で繋ぎ留めることも出来ません。だからこの映画は残酷なのです。未来に向けて僅かな希望もなく、すべての感情は過去に向かい、何度も何度も過去を往復します。しかし現在から見た過去は連続した時間ではなく、断片でしか存在しません。
過去の記憶は断片となり、事実か虚構かも定かではなく、もしかしたら美化されたものかもしれません。現在のジャンヌの意識の中に、まるで現在の自分を引き裂くかのように過去の記憶が繰り返し割り込んでくる。失われた時間が突然戻ってくるが、幸せだった時間の回想ではなく更に喪失を引き立たせる。そのことを映画でしか表せない表現形式で実現する。60年前に、これほどまでに美しく斬新で概念的な映画が存在したでしょうか。

ギィ・ジル監督はどうやってこの映画を作ったのでしょうか?
一見するとイメージ先行で次々と撮影し、編集段階で映画の構成を考えながら形作ったように思えますが、実際は企画段階できちんとした脚本があったようです。富豪の娘でもあった主演のマーシャ・メリルがその脚本を読み、自ら資金調達して制作会社を作り、映画化を実現しました。
また当時、ジル監督は「映画作家はシナリオ、対話、イメージ、デクパージュ(絵コンテ/構成図)、音、モンタージュに至るまで、各要素の考えと技術を持つべき」という文章を残しており、「自分は監督というより “Metteur en ordre(秩序立てる人)”で、細部すべてに責任を持つ」と述べています。
セリフは事前に決められ、詳細なデクパージュに基づいて撮影されたという記録がある一方で、撮影現場の自然を即興で活かしたり、問題や提案に柔軟に対応していたことも記録されています。これほど断片的な映像なのに、撮影前に映画の完成形をイメージできる才能が凄いですね。

 

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