| 原題 | Historias del buen valle |
|---|---|
| 製作年 | 2025 |
| 製作国 | スペイン・フランス |
| 監督 | ホセ・ルイス・ゲリン |
| 脚本 | ホセ・ルイス・ゲリン |
| 撮影 | アリシア・アルミニャーナ |
| 出演 | ー |
撮影の舞台となったVallbona(よき谷)は、サグラダファミリア協会から5kmほど北の、線路と高速道路と小川に囲まれた小さな地区です。都市と農村の中間に位置するこの場所は古い時期に他から移り住んだ古参と、最近移ってきた新しい住人と、アフリカやインドや他のヨーロッパ諸国からの移民で構成されており、映画内でも様々な国の人々が様々な言語を話しています。そこでは様々な時代、様々な国や場所から移り住んだ様々な年代の人々が上手に共存しており、紛争だらけの地球において庶民的な小宇宙を形成している。その小宇宙は騒々しい鉄道と道路の人工物に囲まれているが、丘があり、川が流れ、住人は好きな作物を植え、収穫し、自然と共に生きています。
様々な年代の様々なルーツを持つ住人がカメラを気にすることなく歌い踊り、おしゃべりを繰り広げる姿は、記憶と経験の有機的な集合体です。老人たちの多くは喪失を抱えていますが、喪失は自らが離れた土地と今住んでいる “よき谷” の両方に根ざし、大地と心を通わせながら悲しみを乗り越えていく。母親は息子の死を悼み、悲しみで枯れた木が今も大地にたたずむ姿を見て慰められる。記憶には鮮明な瞬きがあり、音楽を通して幸せだった頃の夫の記憶を取り戻そうとするが、集合住宅では自由にピアノを弾くことができずに妻は少し苛立っている。少年は “よき谷” の変化を憂い、自分が記憶する町や自然がこの先何年も残ってほしいと願う。
これは形式的にはドキュメンタリーですが、会話を要望通りに再現しているため、本当の一瞬を切り取ったものではありません。それでもこれはフィクションではなく、脚本の無いノンフィクションであり、語っている内容も感情も垣間見える人間性も、すべて住人たちが自ら紡ぎ出したものであり真実です。実際は事前にヒアリングし、聞き取った内容から再現して欲しい会話を抜粋し、別の場所で別の人と会話してもらう。それを場所や人を変えながら何度も撮影する。その中から最も良い映像を抽出し、つなぎ合わせ、映像と音響を同期させて作られています。だから会話や仕草が自然ではありませんが、脚本はなく偽物でもなく、我々が観ているのは実際の “生活” と “感情” と “声” なのです。そして、様々な年代、様々なルーツ、様々な民族、様々な言語、様々な宗教の人々が争うことなく共存しており、不満を持ちつつも寛容さと意識の高さによって平和を維持している姿を映し出します。しかし、不安定なバランスを取りながら何とか作り上げたその平和を乱すのは、常に “政治的な外的要因” ということも付け加える必要があります。
ホセ・ルイス・ゲリン監督の『シルビアのいる街で』で主人公は記憶の中の女性をスケッチしていましたが、この映画では人々の記憶をゲリン監督自らが映像として残そうとしたのかもしれません。また、音響映画『Sirāt(シラート)』も担当したアマンダ・ビリャビエハが、今回もホセ・ルイス・ゲリン監督とタッグを組み、音響によってドキュメンタリータッチの映像に豊かな命を吹き込みます。音源はすべて現地でサンプリングされたものですが、映像と同時ではなく別タイミングでサンプリングした様々な音を映像に同期させているのです。だからやたらと川の音や鉄道や高速道路の音がクリアで大きく聞こえ、音響によって空間を再構築しているので、まるでその場にいるかのように臨場感が増すのです。
ホセ・ルイス・ゲリン監督、すばらしい作品でした。
