| 原題 | Limonov: The Ballad of Eddie |
|---|---|
| 製作年 | 2024 |
| 製作国 | イタリア・フランス・スペイン |
| 監督 | キリル・セレブレンニコフ |
| 脚本 | パヴェウ・パブリコフスキ、 ベン・ホプキンス、 キリル・セレブレンニコフ |
| 音楽 | マッシモ・プピロ |
| 出演 | ベン・ウィショー、 ビクトリア・ミロシニチェンコ、 トマス・アラナ、 コッラード・インベルニッツィ、 エフゲニー・ミロノフ、 マーシャ・マシュコワ |
監督のキリル・セレブレンニコフはヨーロッパの演劇界では著名な演出家であり、とりわけオペラの演出において高い評価を得ています。近年だけでも、ウィーン国立歌劇場、パリ オペラ座、バイエルン国立歌劇場をはじめ、ヨーロッパ各国の最上位クラスの劇場から招待を受け、様々なオペラを演出しています。これはロシア政府から迫害された芸術家という話題性だけでなく、幾つもの歌劇場から何度も依頼を受けているように彼の実力を物語る証拠でもあります。セレブレンニコフの何が評価されているかというと、原題の演出家ではもはや当たり前となった “古典の現代的解釈” だけでなく、前提として演劇/映像/ダンス/音楽/美術/ファッションを統合した巨大な演出能力が際立っており、そこに斬新な現代的解釈と、更に解釈の斜め上を行く “観る者を驚かせる演出” が備わっているのです。以下の画像は新作オペラ「フィガロの結婚」ですが、「え?オペラ?」な斬新さで、この画像だけでセレブレンニコフの才能の一端がお分かりいただけると思います。

今回の『リモノフ』ですが、キリル・セレブレンニコフ監督の作品を初めて観た人は「なぜ彼を描いたのか?」まったく分からなかったと思います。まず、セレブレンニコフ作品の特徴として、“過去の想いに誘発された妄想に取りつかれた主人公が彷徨う”、“背景にロシア社会の問題が描かれる” という共通点があります。(ロックカルチャーを描いた『LETO』は例外) その共通点に則しながら、まずは主人公のリモノフとは何者だったのか見ていきましょう。
リモノフは反プーチンを掲げる国家ボリシェヴィキ党の創設者です。リモノフの経歴については謎が多く、フランスで評価を得ていた時期があったことは確かですが、それ以前のアメリカ時代やソ連時代については謎でした。映画では数分だけフランス時代が描かれますが、ラジオ局での粗暴な振る舞いで描かれるように、リモノフを一言で表すと “永遠の反逆者” なのです。フランスで注目された理由も、「ソ連の地下詩人が亡命したニューヨークで貧困に喘ぎ、経験した様々なことを挑発的な一人称で書いた」というものでした。また人物像は、「反ソ連でありながら、西側の自由主義も憎んでいる過激なロシア人」というイメージだったようです。そのセルフプロデュースが功を奏し、フランスで人気を博し、ロシアに帰国後は政治活動家としてもてはやされました。しかし描かれた内容を時系列を逆にして読み解くと、「反プーチンを掲げて一部の国民に熱狂的に受け入れらた指導者であり活動家は、実は自己肯定感と自己顕示欲の高いナルシストで、ソ連を批判しつつロシアを愛し、権威主義を批判しつつ自らは権威でありたいと願い、フランスでは一定の評価を得ていたものの過激で粗暴な人物で、常に何かに歯向かって生きてきたが特にアメリカ時代の経歴は謎で、自称詩人だがソ連政府に弾圧される実績もなく自ら出ていっただけ」ということを描いているのです。映画の原作はフランス人作家が記した伝記ですが、多くはリモノフ本人が語った回想録でしょう。つまりは誇張に富んだ自己神話を含んだ “危険な英雄譚” です。その危険性を含んでいるからこそ、この映画のタイトルに “Ballad(定型詩)” が入っているのです。つまり創作だと。前に書いたセレブレンニコフ作品の2つの共通テーマに照らし合わせると、ここで描かれる経歴の多くは “妄想” なのです。
それでは、この映画で描かれる “ロシア社会の問題” という共通テーマは一体何だったのでしょうか? 先にも述べたように、リモノフの深層心理には「自分を認めない世界を憎む」「そのような腐敗した世界は破壊すべき」という怨念が渦巻いています。歪んだ個人的な屈辱が原動力で、反プーチン・反体制を含めて何にでも反抗する動機は正義によるものではなく “怨恨” に近いものがあり、権力者からの解放を訴えつつ自分が新たな権力になることを願い、いざ権力者になったら他者を圧迫するであろう思想の持ち主です。それはかつてのロシア・ソ連の歴史であり、「過去の自分たちは偉大」「今は正当に評価されていない」「失われた偉大さを取り戻す」「そのためには暴力も辞さない」という思考は過去の指導者からプーチンまで(そうでない指導者も経由しながら)連綿と受け継がれているのです。つまり反プーチンの旗印となった人物を描きつつ、これはプーチンを含むロシアの指導者を皮肉的に描いているのです。
セレブレンニコフ監督は主役のベン・ウィショーに対し、「リモノフは “ロシア版ジョーカー” のようなもの」と説明しました。屈折した怨恨が社会を破壊する原動力となり、一部の人々から熱狂的に受け入れられる。しかし、行きつく先は恐怖と混乱でしかないのです。
