| 原題 | Noah |
|---|---|
| 製作年 | 2014 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | ダーレン・アロノフスキー |
| 脚本 | ダーレン・アロノフスキー、 アリ・ハンデル |
| 音楽 | クリント・マンセル |
| 出演 | ラッセル・クロウ、 ジェニファー・コネリー、 レイ・ウィンストン、 ダグラス・ブース、 エマ・ワトソン、 アンソニー・ホプキンス、 ローガン・ラーマン |
ダーレン・アロノフスキー作品の主人公は皆、とても生真面目です。目の前の問題を解決しようと頑張るうち、誤った自己解釈から強迫観念に陥り、最後は解放されるがハッピーエンドではない。それがアロノフスキー映画を貫く共通テーマであり、その点でノアもアロノフスキー作品の典型的な主人公なのです。聖書だと神の意志は「ノアの家族で人類を再出発する」ですが、なぜかこの映画ではノアが「いやいや神はそう言ってるけど、動物を救った後に人類を無くすのが神の意志なのだ」と聖書とは正反対の思いに囚われます。その「強迫観念 vs 家族愛」がこの映画最大の見どころですが、聖書を知っている人からすると「?」です。だって、最初から聖書にそんなことは書かれていないのですから。
それを言い出すと、謎の岩石巨人Watchersって何?となりますが、あれは聖書ではなく “エノク書” と呼ばれる旧約聖書の文献的な書物に出てくる天使から来ているそうです。アロノフスキー監督は学生時代(ハーバード大学)からノアの箱舟に関する文献を調査しており、この映画を作ることは長年の夢だったようです。それにしては聖書の解釈を拡張というより作り変えてしまっており、その点が評価が大きく分かれる原因にもなっています。更に箱舟のデザインが舟というより “箱” なだけで、「それはどうなのよ」と思ったらそこは聖書通りだそうで、いやいや「そこかよ!」と突っ込んでしまいそうです。
冒頭からCG満載かつ説明調で始まる様子に、様々な巨匠がハマってきた “歴史SF映画の沼” を思い出します。(リドリー・スコットの『エクソダス: 神と王』、ガイ・リッチーの『キング・アーサー』、チャン・イーモウの『グレートウォール 』などなど…) さらにアロノフスキー監督が2006年に作った謎SF『ファウンテン 永遠につづく愛』も思い出されます。前半を見る限り、ゴールデン・ラズベリー賞を4部門受賞し、Imdbで5.8という驚異の低評価を叩き出した現実が目の前の画面に横たわり、「神の起こした大洪水で沈むのは、きっとこの映画だろう」と考えてしまいます。一方、1億3000万ドルも掛けてこのような混とんとしたダークな聖書ファンタジーを作ることができるのは、我が道を突き進む偉大な映画作家だけなのかもしれません。
そして後半のドラマを端的にまとめると、
「神はこう思っているはずだ」(いやいやそんなこと言ってないから)→「でもやっぱり神の意志には従えないし家族が大事!」(最初からそんなこと言ってないから…)→「俺は失敗したダメな人間だ」(だから最初から神はそんなこと言ってないから…)
という良く分からないロジックを押し通して最大の見せ場を作ります。『グラディエーター』を彷彿とさせるラッセル・クロウの苦悩する演技は、ノアの箱舟のように映画を大洪水から救いました。ちなみにラストで酔っ払っていきなり裸で倒れているシーンで観客は “目が点” になりますが、あれはノアの箱舟について書かれた創世記9章の描写(21節)を再現したものです。創世記では父の尊厳を無視して家族を呼んだ次男が咎められ、父の姿を見ないように服を掛けた長男と三男が評価されます。だから次男のハムは家族を離れていくのです。
そこは聖書に忠実ですが、実は創世記では長男/次男/三男ともに妻と一緒に箱舟に乗り、それぞれの家族が各民族へと発展していくように描かれています。だから聖書に忠実な部分とそうでない部分を何か取り違えているような気がしてならないんですよね。
