| 原題 | 千禧曼波/Millennium Mambo |
|---|---|
| 製作年 | 2001 |
| 製作国 | 台湾・フランス |
| 監督 | 侯 孝賢(ホウ・シャオシェン) |
| 脚本 | 侯 孝賢(ホウ・シャオシェン)、 朱 天文 |
| 音楽 | 半野 喜弘、 林 強、 Fish |
| 出演 | 舒 淇(スー・チー)、 トゥアン・ジュンハオ、 ガオ・ジェ、 竹内 淳、 竹内 康、 ニョウ・チェンツー |
タイトルが示す通り、この映画は2001年に製作され、2000年頃を描いたものです。それなのに、冒頭で「これはすべて10年前の出来事だった」とナレーションが入る。
ホウ・シャオシェン監督が常に過去を描いてきたように、この映画は現在を描いているにも関わらず、すべて “回想” なのです。だから映像も物語も断片的で、記憶がどこまで定かだったかも良く分からない。ただ一人の女性が二人の男性の間を浮遊する姿が映し出されます。
『風櫃(フンクイ)の少年』『冬冬(トントン)の夏休み』『童年往事 時の流れ』『恋恋風塵』で等身大の台湾の少年を描いてきたように、現在の台湾の女性を等身大に描こうとしたのかもしれません。過去の少年たちは歴史や家族や土地に縛られていましたが、現代の女性は過去に少年たちが縛られていた伝統や保守的なものに縛られていません。唯一 “男” に縛られているように見えますが、縛ろうとした “ヒモ” はほどけており、彼女は自由意志で留まっているだけです。共通するのは、後から思い返してみると “美しい思い出” のように思えてしまうことでしょうか。当時の行動原理は良く分からず、毎日何を考え何をして過ごし、充実していたかも分からない。でも当時の空気感や記憶だけは鮮明に残っている。過去の自分を正当化しようと、もしかしたら記憶を変えているかもしれないが…
10年後の彼女から見た2001年の彼女を描いていますが、”10年後の彼女” は出てきません。浮遊した羽は飛び続けることはできず、風に流されやがてどこかに舞い降りますが、夕張や東京が目的地のようには見えません。しかしきっと、彼女もどこかに落ち着いたのでしょう。同じ台湾ニューシネマを牽引したエドワード・ヤン監督の『カップルズ』のように、“静かに壊れゆく家族や若者の価値観” が背景にあるのかもしれません。社会が安定し、世の中の価値観も変わり、今の若者には拠り所となる歴史も家族もありません。昔は昔で大変な苦労をしましたが、きっと今の若者たちは “平和なのに満たされず、人生が前に進まない” という苦労をしているのです。
